久米唯次
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/07 04:43 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動経歴
禎瑞新田(伊予国新居郡禎瑞村。愛媛県新居郡橘村を経て現西条市禎瑞)干拓以来の旧家[3]、久米弥吉[注 1]の長男として生まれる[1]。農業を営み[2]、1915年(大正4年)時点で直接国税2500円余を納めた[1]。
学務委員に就任し禎瑞小学校(現西条市立禎瑞小学校)の建設に多額の寄付を行った[3]。新居郡会議員などを務め[3]、1897年(明治30年)愛媛県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[4]に就任したが、大病のため[3]1898年(明治31年)6月7日[5]に辞職した[2]。
親族
- 長男 久米栄太郎(実業家)[6]
脚注
参考文献
- 人事興信所 編 『人事興信録 第4版』 人事興信所、1915年 。
- 人事興信所 編 『人事興信録 第8版』 人事興信所、1928年 。
- 衆議院、参議院 編 『議会制度七十年史 第1』 大蔵省印刷局、1960年 。
- 『愛媛県史 人物』愛媛県史編纂委員会、1989年。
- 1 久米唯次とは
- 2 久米唯次の概要
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