ヨーク (メイン州)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 07:55 UTC 版)
歴史
ヨークとなった地域には1624年に最初の入植があり、当初はアベナキ族インディアンの言葉からヨーク川を意味するアガメンティカスと呼ばれていた。1638年、開拓者がその出身地であるイングランドのブリストルから、ブリストルと改名した。プリマス特許の下でメインの領主になったフェルディナンド・ゴージズ卿が、荒野から大きな都市に成長させることを思い描き、その領土の首都としてゴージアナと名付けた。1642年、国王チャールズ1世の勅許により、ゴージアナはアメリカで最初の法人化都市になった[3]。
しかしゴージズが死んだ後、マサチューセッツ湾会社がその領地の所有権を主張した。1652年、ゴージアナの部分からマサチューセッツのヨークが法人化され、メイン地区では2日前に法人化されていたキタリーに続いて2番目に古い町となった。その名称はイングランドのヨークから採られた。しかし、この地域の支配についてはニューイングランドとヌーベルフランスが争い、フレンチ・インディアン戦争のときはフランスがインディアンにイギリス人開拓地を攻撃するよう唆した[3]。
ヨークで最初の会衆派教会は、シュベール・ダマー牧師によって1672年に組織された[4]。ダマーはリチャード・ダマーの息子であり、かつマサチューセッツ湾直轄植民地の総督代行を務めたウィリアム・ダマーの叔父だった。
ウィリアム王戦争のとき、ヨークの町は1692年のキャンドルマス虐殺で破壊された。アベナキ族インディアンの襲撃があったときに、ダマーが自分の家の玄関で銃で撃たれた。他にも約50人が殺され、100人近くが捕虜にされて連れていかれた。その中にはダマーの妻のリンダと息子がおり、「荒地の竜の中で雪や苦難を通して、彼女も直ぐに死んだ。」息子のことについては何も伝えられなかった[5]。
ダマーの戦争の1723年に、インディアンの最後の攻撃がケープ・ネディック地域で起きた。1745年のルイブールの戦いでフランスが敗北したことにより敵対行為が止まり、1763年のパリ条約で全て終わった。マーク・トウェインなどアメリカの有名な作家数人が、夏の間をヨークで過ごすことが知られていた[6]。
- ^ a b “US Gazetteer files 2010”. United States Census Bureau. 2012年12月16日閲覧。
- ^ “Quickfacts.census.gov”. 2023年11月24日閲覧。
- ^ a b Coolidge, Austin J.; John B. Mansfield (1859). A History and Description of New England. Boston, Massachusetts. pp. 369–372
- ^ Geo. J. Varney (1886年). “History of York, Maine”. 2009年12月4日閲覧。
- ^ Dummer, Michael (June 2005). “5: Richard and Early Days in New England”. The Family of Dummer (7th ed.). p. 26
- ^ Albert Bigelow Paine, Mark Twain, A Biography; The Personal and Literary Life of Samuel Langhorne Clemens
- ^ Varney, George J. (1886), Gazetteer of the state of Maine. York, Boston: Russell
- ^ “Registration and Party Enrollment Statistics as of October 25, 2005” (PDF). Connecticut Secretary of State. 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年10月2日閲覧。
- ^ [1], accessed March, 2010.
- ^ “American FactFinder”. United States Census Bureau. 2012年11月23日閲覧。
- ^ “American FactFinder”. United States Census Bureau. 2008年1月31日閲覧。
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