ハドソン・リバー派
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概観
ハドソン・リバー派という言葉を考案した人物、あるいは文献に現れた最初の例ははっきりとはしていない。ニューヨーク・トリビューンの美術評論家クラーレンス・クックまたは風景画家ホーマー・D・マーティン(Howat、3~4ページ)によって使われ始めたのではないかと考えられている。バルビゾン派や印象派が流行しだした当時、この言葉は元々そうレッテルを張られた作品が時代遅れであると軽蔑する意図で使われたものだった[疑問点 ]。
ハドソン・リバー派の絵画には19世紀アメリカの発見、探検、移住という3つのテーマが映し出されている。また、そこにはアメリカの風景が人と自然が平和的に共存する牧歌的な世界として描かれている。ハドソン・リバー派の絵画は、写実的で細かくしばしば理想化された自然の描写に特徴付けられる。そこには植民地主義政策と荒野も描かれている。ハドソン・リバー派の画家たちは宗教上の信仰の深さはそれぞれであったが一般的にアメリカの風景という自然の中に神の偉大な顕れを観ていた。彼らはクロード・ロラン、ジョン・コンスタブル、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーなどのヨーロッパの画家たちからインスピレーションを得ていた。また、ヘンリー・デイヴィッド・ソローやラルフ・ウォルド・エマーソンといった当時のアメリカの作家と同様にアメリカの自然に対する畏敬の念を抱いていた。
絵を構成する個々の要素が非常にリアルに描かれる一方で、実際に描かれた風景はいくつものシーンや画家のイメージを合成した場合が多かった。絵の素材を集めるためしばしば彼らは尋常でない極限ともいえる環境にも踏み込んでいった。そのような環境では絵を描くことが不可能だったので、画家は無事旅から戻った後で旅の間のスケッチや記憶を元に絵を描いた。
トマス・コール
トマス・コールはハドソン・リバー派の創始者であると一般的に考えられている。コールはエリー運河が開通した1825年秋にハドソン川を溯る蒸気船に乗った。最初にウェスト・ポイントに立寄った後、キャッツキルの停泊地から西に向かい、その地域最初の風景画を描くためにニューヨーク州のキャッツキル山地東部まで登っていった。彼の作品が最初に取り上げられたのは1825年11月22日の「ニューヨーク・イブニング・ポスト」[1]であった。その頃、緑一色の風景で育った英国生まれのコールはハドソン川周辺の秋の色の輝きに目を見張った。コールの親友アッシャー・デュランドも、ハドソン・リバー派の有名な人物になった。彼は1837年の恐慌で紙幣の原版製作の仕事が無くなった時に一層名を上げた[疑問点 ]。
- 1 ハドソン・リバー派とは
- 2 ハドソン・リバー派の概要
- 3 第二世代
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