アレクサンドラ・ダ・リケー アレクサンドラ・ダ・リケーの概要

アレクサンドラ・ダ・リケー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/08 07:30 UTC 版)

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アレクサンドラ・ダ・リケー
Alexandre de Riquer
生誕1856年5月3日
スペイン、Anoia
死没1920年11月13日
パルマ・デ・マヨルカ
運動・動向アール・ヌーヴォー

略歴

バルセロナのAnoiaに侯爵家の息子に生まれた。1864年から1867年までマドリードのイエズス会の学校で学んだが、1869年にスペインの政変に伴って、父親とフランスに亡命した。ベジエの寄宿学校で2年間、学び、フランス語を学び、絵を描くようになり、1873年から1874年の間はトゥールーズの美術学校で、正式な学生ではないが美術を学んだとされる。1874年に父親の帰国が許され、バルセロナに戻り、リョッジャ美術学校(Escuela de la Lonja)で絵の勉強を続けた。

生活費を稼ぐために出版の仕事に入り、友人の作家、イラストレーターのアペレス・メストレス(Apel·les Mestres i Oñós: 1854-1936) のもとで働き、ポスターや広告のビラなどの制作をした。1879年にイタリアを旅し、パリを訪れ、バルセロナに戻った後、「La Ilustració Catalana」や「Art i Lletres」といった雑誌を創刊した。

1885年に名家の娘と結婚し、妻が亡くなる1899年までに8人の子供ができ、3人の子供は早逝した。1889年のパリ万国博覧会で、イギリスのラファエル前派の画家の作品に影響を受けた。ロンドンに旅した時には、アール・ヌーヴォーやポスター美術の隆盛を知り、日本美術のコレクションにも興味を持った。

1911年にアンドレ・ベアルン(Andrée Béarn)のペンネームで作家の活動をする女性、Marguerite Laborde(1880-1973)と再婚し、この結婚からはイラストレータのジャン・ダ・リケー(Jean de Riquer: 1912-1993)が生まれた。夫妻で各地を旅した後、1917年に彼はマヨルカ島に移り、そこで多くの風景を描き、3年後に死去した。

作品

バルセロナの住宅、Casa Alegre de Sagreraの壁画
劇場の装飾パネル(1900)
美術展ポスター(1896)

参考文献

  • Riquer é Inglada, Alejandro de. In: Hans Vollmer (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 28: Ramsden–Rosa. E. A. Seemann, Leipzig 1934, S. 377.
  • Eliseu Trenc: Alexandre de Riquer. Caixa de Barcelona, Barcelona 1985, ISBN 84-7580-130-7.
  • Eliseu Trenc Ballester, Alan Yates: Alexandre de Riquer: 1856–1920: the British connection in Catalan modernisme. The Anglo-Catalan Society, Sheffield 1988, ISBN 0-905713-74-5.



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