NIPPON (グラフ誌)
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『NIPPON』(にっぽん)とは、日本工房[注 1]が編集・発行した日本のグラフ誌である。1934年 (昭和9年) 10月20日に創刊された[6]。以後、確認されているだけで、1944年 (昭和19年) 9月までに36冊(特別号『日本の手仕事』含む)が発刊された。
脚注
- ^ 1933年 (昭和8年) 7月、名取洋之助、木村伊兵衛、原弘、伊奈信男、岡田桑三によって設立された同人組織[1]。東京銀座の徳田ビル内に事務所を置いた[1]。日本工房は、都合3回の解体と再建を繰り返した。意見の相違で1934年 (昭和9年) 1月には岡田が脱退、その後次々とメンバーが脱退し、結成から1年も経たないうちに日本工房は空中分解してしまう[2]。脱退したメンバーは同年5月に『中央工房』を設立、一方、最後に1人残った名取は、別個に日本工房を再建した[3]。『NIPPON』は、再建された、第2次日本工房による発行・編集の雑誌である。対外宣伝業務が忙しくなった第2次日本工房は1939年 (昭和14年) 5月に株式会社化され、国際報道工芸株式会社へ、さらに1943年 (昭和18年) には国際報道株式会社へ改組された[4]。戦後になってから日本工房は再建されている。日本工房 (第3次日本工房) が再建されたのは、1954年 (昭和29年) 6月3日のことである[5]。この時は、名取と内藤初穂が共同して再建、東京・神田淡路町に事務所を置いたが、1956年 (昭和31年) 3月に名取は第3次日本工房から手を引いた[5]。これ以後の日本工房は、内藤が面倒をみることになった。
- ^ 福島県立美術館で開催された展覧会図録も兼ねる。
- ^ 増刊号は、日本の手仕事、日本語版1936、日本語版1937、日本版第1巻 第1号・第2号
出典
- ^ a b 白山眞理、堀宜雄 編『名取洋之助と日本工房 [1931-1945]』岩波書店、2006年2月10日、6頁。ISBN 4-00-024156-7。
- ^ 『名取洋之助と日本工房』pp.7-8.
- ^ 『名取洋之助と日本工房』p.8.
- ^ 『名取洋之助と日本工房』pp.96, 130.
- ^ a b 『名取洋之助と日本工房』p.172.
- ^ a b c 『名取洋之助と日本工房』p.10.
- ^ 『名取洋之助と日本工房』viii
- ^ a b c d e 『名取洋之助と日本工房』
- ^ 『名取洋之助と日本工房』xviii, p.26.
- ^ 『名取洋之助と日本工房』viii.
- ^ 『名取洋之助と日本工房』viii-xv.
- ^ a b 『名取洋之助と日本工房』x.
- ^ 『名取洋之助と日本工房』ix.
- ^ 『名取洋之助と日本工房』ix-x.
- 1 NIPPON (グラフ誌)とは
- 2 NIPPON (グラフ誌)の概要
- 3 沿革
- 4 主要な展覧会
- 5 関連項目
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