杉山吉良とは? わかりやすく解説

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杉山吉良

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 04:02 UTC 版)

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杉山 吉良(すぎやま きら、本名すぎやま よしろう(漢字同じ)、1910年10月17日-1988年12月12日)は、日本の写真家報道写真およびヌード写真に長ける。

来歴

静岡県伊東市出身。

1923年、早稲田中学在学中に関東大震災にあい、その後中学を中退。

映画のカメラマンとして出発し、1934年に写真家に転身。

1934年に創刊された雑誌『NIPPON (グラフ誌)』にも作品が掲載された(日本工房に所属していたわけではない)。

1938年7月に、土門拳藤本四八濱谷浩田村茂林忠彦光墨弘加藤恭平 (写真家)梅本忠男らとともに青年報道写真研究会を設立し、活躍した。例えば、1939年4月30日から10月31日まで開催されたニューヨーク万国博覧会(前期)の国際館カヴァードスペース日本部に展示された写真壁画4つのうちの1つ「躍進日本」には、同会の土門拳、若松不二夫、山川益男、溝口宗博とともに杉山吉良の写真作品も使用された。

1939年には文藝春秋特派員として、中支那戦線から上海租界を渡り、写真撮影をした。

1942年にはアッツ島上陸作戦に従軍。

戦後は、まず先駆的なヌード写真で名をなした。

その後、海外での取材に基づく写真作品の発表を積極的に行った。(ブラジル、アマゾン、アッツ島など)

弟子

展覧会

著書

(刊行年順)

  • アリューシャン戦記(六興商会出版部、1943年)
  • 裸體(ソアレ光房、1951年)
  • 裸婦の写し方(大泉書店、1951年)
  • 裸婦の写し方. 続(大泉書店、1951年)
  • 裸婦の写し方選集(大泉書店、1953年)
  • 写真ポケットブック(高陽書院、1953年)
  • 裸族ガビオン(光文社、1958年)
  • 讃歌(丸の内SPセンター、1969年)
  • 北限の花アッツ島再訪(文化出版局、1979年)
  • 杉山吉良写真集Nude(ノーベル書房、1983年)
  • 花(ノーベル書房、1983年)
  • アリューシャン戦記(杉山書店、1984年)
  • 杉山吉良作品展 / 杉山吉良,杉山良子(JCIIフォトサロンライブラリー94、1999年)

参考文献

脚注

  1. ^ 琉球文化アーカイブ 写真史年表
  2. ^ 「讃歌Ⅰ」図録
  3. ^ 杉山吉良作品展「日本の顔」日本カメラ博物館 JCII Camera Museum



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