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岩槻城

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 01:25 UTC 版)

岩槻城(いわつきじょう)は、埼玉県さいたま市岩槻区武蔵国埼玉郡岩槻)にあった日本の城平山城)。岩槻藩の藩庁。鎌倉時代以前に築かれ、大宮台地岩槻支台上に立地。別称に岩付城、岩附城、浮城、白鶴城がある。県指定史跡[1]。また周囲の大構(おおがまえ)は市指定史跡となっている[2]


  1. ^ 文化財紹介『岩槻城』(さいたま市公式サイト)
  2. ^ 文化財紹介『岩槻城大構』(さいたま市公式サイト)
  3. ^ a b 『新編武蔵風土記稿』巻200 埼玉郡2 岩槻領 岩槻城並城下町
  4. ^ 鎌倉大草紙』巻五(第四編十九号)「長禄元年四月、‥太田備中守入道ハ武州岩槻の城を取立、‥」による。
  5. ^ a b c d e f g 日本城郭大系 5 埼玉・東京』新人物往来社、1979年、186-189頁。ISBN 978-4404009760 
  6. ^ 黒田基樹「岩付太田氏の系譜と動向」『論集戦国大名と国衆12 岩付太田氏』岩田書院、2013年。 
  7. ^ 『文明明応年間 関東禅林詩文等抄録』所収の『自耕斎詩軸并序』にある記述 「武州騎西郡有村、曰岩付、又曰中扇、附者傅也、岩付左衛門丞顕泰公父故金吾、法諱正等、挟武略之名翼、有門蘭乃輝、築一城」による。
  8. ^ 長塚孝「古河公方足利氏と禅寺寺院-旧利根川下流域を中心に-」『葦のみち〈三郷市史研究〉』2号、1990年。 
  9. ^ 黒田基樹「岩付城の築城時期と初期の城主」『戦国東国の大名と国衆』岩田書院、2001年、60-64頁。 /初出は:「扇谷上杉氏と渋江氏-岩付城との関係を中心に-」『北区史研究』2号、1994年。 
  10. ^ 黒田基樹「岩付太田氏の成立」『扇谷上杉氏と太田道灌』岩田書院、2004年、175-177頁。 
  11. ^ 小宮勝男『岩槻城は誰が築いたか』さきたま出版会、2012年。 
  12. ^ 「年代記配合抄」による。「本土寺過去帳」には1524年(大永4年)の事件とする。
  13. ^ a b 下中 1993, p. 985
  14. ^ a b c d e f 竹内 1980, p. 127
  15. ^ 埼玉県郷土誌研究会 編「白鶴城と初雁城」『史跡と人物でつづる-埼玉県の歴史』光文書院、1983年、86頁。 
  16. ^ さいたま!タマてばこ vol.4 2020春夏”. さいたま市観光国際協会. 2021年3月18日閲覧。
  17. ^ 細淵家住宅長屋門 ほそぶちけじゅうたくながやもん」『文化遺産オンライン』文化庁(閲覧日2017年9月2日)
  18. ^ 岩槻城并侍屋敷城下町迄総絵図 いわつきじょうならびにさむらいやしきじょうかまちまでそうえず」『文化遺産オンライン』文化庁(閲覧日2017年9月2日)
  19. ^ 長谷川家住宅旧店蔵及び主屋 はせがわけじゅうたくきゅうみせぐらおよびしゅおく」『文化遺産オンライン』文化庁(閲覧日2017年9月2日)


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