鬼室福信
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鬼室 福信(きしつ ふくしん、生年不詳 - 663年)は、百済の王族・将軍。義慈王の父である第30代武王(余璋)の甥。官位は恩率(三品官)、のち佐平(一品官)。鬼室氏の祖となる。没した2か月後白村江の戦いで倭国と百済の連合軍が大敗した。扶余福信。
- ^ 金富軾. 三國史記/卷28. - ウィキソース.
- ^ 劉昫. 舊唐書/卷199上#.E7.99.BE.E6.BF.9F. - ウィキソース.
- ^ 「巻第二十七 天智天皇 西海防備 および 藤原鎌足の死」 『日本書紀(下)全現代語訳』 宇治谷 孟訳(講談社学術文庫)1988年、227頁 、234頁
- ^ “日野町 姉妹都市 恩山面(大韓民国)”. 滋賀県蒲生郡日野町役場の公式Webページ. 2014年11月29日閲覧。
- 1 鬼室福信とは
- 2 鬼室福信の概要
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