白村江の戦いとは?

はくそんこうの たたかい はくそんかう -たたかひ 【白村江の戦い】

663年白村江での唐・新羅軍と日本百済軍との戦い百済救援した日本軍は敗れ,百済滅亡日本朝鮮進出断念新羅朝鮮統一一歩を進めた。

白村江の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/13 14:30 UTC 版)

白村江の戦い(はくそんこうのたたかい、はくすきのえのたたかい)は、天智2年8月(663年10月)に朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で行われた、倭国百済遺民の連合軍と、新羅連合軍との戦争のことである。


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  1. ^ a b c d 森公章は総数不明として、660年の百済討伐の時の唐軍1.3万、新羅5万の兵力と相当するものだったと推定している。森公章1998,p146
  2. ^ a b c d e f [1]「白村江の海戦 7世紀に起きた日中韓の戦争」川端俊一郎,北海商科大学北東アジア研究交流センター。
  3. ^ 『日本書紀』崇神、応神、雄略等
  4. ^ 三国史記』新羅本紀
  5. ^ 森,1998,p96
  6. ^ 斉明6年7月乙卯
  7. ^ a b c d 森,1998,p97
  8. ^ 森,1998,p92
  9. ^ 旧唐書東夷伝
  10. ^ a b c d e f 森,1998,p98-9
  11. ^ 三国史記新羅本記五
  12. ^ 森1998,p100
  13. ^ a b c d 森1998,p102
  14. ^ 旧唐書東夷伝
  15. ^ 森1998,p104
  16. ^ a b c d 森1998,p104
  17. ^ a b c 森1998,p105
  18. ^ [2]「白村江の戦いと廬原氏」
  19. ^ 森1998,p118
  20. ^ 森1998,p12
  21. ^ 日本書紀』「十一月丁巳朔乙丑 百濟鎭將劉仁願遣熊津都督府熊山縣令上柱國司馬法聰等 送大山下境部連石積等於筑紫都督府」
  22. ^ 『舊唐書』卷八十八列傳第三十四
  23. ^ 三国史記
  24. ^ 森1998,p118
  25. ^ 日本書紀の持統4年(690年)の項
  26. ^ 森1998,p119。『続日本紀』慶雲4年5月
  27. ^ 扶桑略記』では、異説として「一云 天皇駕馬 幸山階鄕 更無還御 永交山林 不知崩所 只以履沓落處爲其山陵 以往諸皇不知因果 恒事殺害」と紹介し、山中での狩の途中に行方不明となり暗殺されたことを示唆している
  28. ^ 「東夷傳百済」其地自此為新羅及渤海靺鞨所分、百済之種遂絶。


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