1983 - 1984
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 14:05 UTC 版)
「ブルン・モータースポーツ」の記事における「1983 - 1984」の解説
GS-スポーツと、GS-スポーツのパートナーだったザウバーのメンバーとしてスポーツカー世界選手権 (SWC)とドイツレーシングカー選手権 (DRM)に数年にわたり参戦すると、経営難に直面していたGS-スポーツを引き継ぎ、1983年シーズンを前にチーム名をブルン・モータースポーツに変更した。ブルンはGS-スポーツが使用していたBMW・M1とザウバー・SHS C6を引き継いだ。ザウバーはその後改造され、Sehcar C6と名付けられた。また、ドライバーも旧チームから継続し、ハンス=ヨアヒム・スタックとハラルド・グロースが継続した。また、ウォルター・ブルン自身もドライバーを務めた。 Sehcarが初期トラブルに見舞われると、ブルンはポルシェ・956を購入し、同車両の初期のプライベーターチームの一つになった。ブルンはこの車両でSWCとDRMに参戦した。956はすぐに好成績を残し、この年にモスト・サーキット(en:Autodrom Most)で開催されたインターセリエのレースで、ウォルター・ブルンのドライブでチームの初勝利を挙げた。その後、スパ1000キロで4位を獲得した。 1984年にSehcarプロジェクトを中止すると、ブルンは2台目の956を購入し、主にマッシモ・シガラとオスカー・ララウリにドライブさせた。また、チームはイェーガーマイスターとヴァルシュタイナー(en:Warsteiner Beer and Brewery)のスポンサーを獲得した。ブルンチームにとって956を使った初のWSCとDRMのフルシーズンだったが、シーズンが進むにつれてパフォーマンスは向上した。開幕戦のモンツァ1000キロで4位を獲得すると、ル・マン24時間では4位と7位、スパ1000キロでは3位と4位の結果を残した。イモラ1000キロではチームの通算2勝目を挙げ、その翌週にはニュルブルクリンクのDRMのレースでも優勝した。その1ヵ月後、同サーキットで開催されたインターセリエのレースでも勝利を獲得した。ブルンはDRMで初のチームタイトルを獲得した。また、このシーズン、ブルンとヨースト・レーシングから出走したステファン・ベロフがドライバーズタイトルを獲得した。
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