1225年成立説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/12 00:35 UTC 版)
1225年成立説はチンギス・カンが中央アジア遠征から帰還した1225年に「大ヤサ」が成立したとする説で、コンスタンティン・ムラジャ・ドーソンや宇野伸浩らが支持している。この説は以下の『集史』の記事を根拠としている: イスラム暦の622年(1225年-1226年)のサファル月に当たるダキク・イルすなわち酉年の春に、[チンギス・カンは]自分のオルドに下営し、その夏は家で過ごし、厳密なヤサクを定めた。 — 『集史』「チンギス・カン紀」 この説は1206年成立説に比べ注目されてこなかったが、宇野伸浩はプラノ・カルピニやルブルックの報告書にも「西方遠征から帰還したチンギス・カンが多くの法令・法規を作った」という記述があることに注目し、1225年成立説に説得力があると支持している。
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