日本テレビ放送網麹町分室とは? わかりやすく解説

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日本テレビ放送網麹町分室

(麹町分室 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/26 00:52 UTC 版)

日本テレビ放送網麹町分室(にっぽん〈にほん〉[2]テレビほうそうもう こうじまちぶんしつ)は、2019年まで稼働していた日本テレビ放送網(日本テレビ、日テレ、NTV)の旧本社演奏所で分室にあたるビルディング。所在地は、東京都千代田区二番町14番地。「日本テレビ麹町ビル[3][4]日テレ麹町ビル[5]の他、「旧本社ビル」「麹町ビル」「麹町スタジオ」と呼ばれていた。放送では生放送を中心に「日本テレビGスタジオ」と紹介する事が多かった[6]


  1. ^ 大林組百年史/この時代の工事 昭和58年~昭和61年ころ - 大林組公式ウェブサイト、2014年10月4日閲覧。
  2. ^ 登記上の商号は「にっぽん」だが、通常はコールネームに合わせて「にほん」と呼称される。
  3. ^ 日本テレビサービス会社概要 ※所在地について「東京都千代田区二番町14 日本テレビ麹町ビル南館10F」と記述。
  4. ^ インフォメーション・ディベロプメントのサイト内アクセスマップ ※同社システムサービスセンターの所在地について「東京都千代田区二番町 14番地 日本テレビ麹町ビル 西館」と記述。
  5. ^ アクセス - 日本テレビ麹町診療所ウェブサイト内 ※所在地について「東京都千代田区二番町14 日テレ麹町ビル南館1階」と記述。
  6. ^ 但し、放送の一部〈24時間テレビのチャレンジ企画など〉で使用の際に麹町と付加される事がある。
  7. ^ 生放送でも使用可能なため、本社の汐留移転後も生番組の制作が同所で幾度となく行われていたが、年月を経て同所での生放送番組収録は少なくなり、スタジオ運用を調整しつつ汐留本社のスタジオになるべく生番組を集約させる方向に進んでいた。
  8. ^ 日本テレビグループを統括する持株会社。2012年10月、従来の日本テレビ放送網(1952年10月28日設立)が新旧分割に伴い、社名・業態変更を行ったもの。
  9. ^ “ラジオ日本、東京・麹町に東京支社”. 毎日新聞 DIGITALトゥデイ. (2003年2月28日). オリジナルの2003年3月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20030303092637/http://www.mainichi.co.jp/digital/network/archive/200302/28/9.html 
  10. ^ 他に都営バスの橋63系統でも結ばれていた。なお、日テレ麹町ビルの最寄りバス停は「番町」、日テレタワーの最寄りバス停は「新橋駅前」である。
  11. ^ 当初は別の用途であった場所を改装してミニスタジオと副調整室が置かれた。当初はミニ番組や外部向け番組(日本テレビエンタープライズなどが関わった主にVPや外注番組など)の収録用として使用されていたが、日本テレビの平日編成が生番組主体へと変化していく中、スタジオ数が逼迫してきた事から『峰竜太のホンの昼メシ前』など午前10時台の生番組用スタジオとなった他、『進め!電波少年』『クチュリエで道楽』など日本テレビの番組収録主体へと運用形態が変化していった。
  12. ^ 日本テレビにおいては、生田スタジオから生放送する場合も、麹町分室と同じく汐留本社側にも受けサブを用意する必要があった。
  13. ^ 初代Gスタジオでの番組(24時間テレビ・第1回)の様子は、横浜市中区にある放送ライブラリーで視聴する事ができる。
  14. ^ a b 通常は後楽園ホールで収録されているが、一部放送回(主に『24時間テレビ』チャリティーSP等の生放送時や正月特番収録時)で使用。
  15. ^ 途中からカラーセンター内のHスタジオ→Jスタジオを使用していたが、『ドキュメント女ののど自慢』を行う水曜日のみ引き続きKスタジオを使用した。
  16. ^ この場やマイスタ前の歩道・駐車場で番組のロケや生中継も多く行われた。「ズームイン!!朝!」→「ズームイン!!SUPER」、「ジパングあさ6」、「ズームイン!!サタデー」のオープニング・エンディング、「NNNニュースプラス1」の木原実の気象予報コーナー、『進め!電波少年』のアポなしロケ「ユン・ピョウは本当に強いのか体を張って確かめたい」、「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」の新ロケコーナー開始時の企画説明時などで確認できる。
  17. ^ 番組自体は同年10月13日から1986年9月17日まで放送された。
  18. ^ a b c 流智美「プロレス史あの日、あの時<299> 1968年11月22日「大学紛争の影響でテレビ生中継がスタジオ収録!!」」『週刊プロレス』第1932号、ベースボール・マガジン社、2017年12月6日、48頁。 
  19. ^ 共同通信社 (2009年12月16日). “日テレ、都内で土地取得へ 再開発検討、231億円で”. 47NEWS. https://web.archive.org/web/20130629232730/http://www.47news.jp/CN/200912/CN2009121601000941.html 2012年9月14日閲覧。 
  20. ^ 日本テレビとしては、創業の地であるこの場所(千代田区二番町)への思い入れは強いと言われており、汐留への本社移転が決定するまではこの場所での本社建て替えも念頭に置いていたと言われている事から、日本テレビの本社機能を改めてこの地に戻すのではないかという推測・観測もある。
  21. ^ 日本テレビHD IR情報(2013年8月28日付)
  22. ^ (仮称)麹町新スタジオ棟建設プロジェクト 速報!今日の現場ニュース 2015年5月14日
  23. ^ C1-C3の各副調整室(エレベーターホールには「サブコン」と表記。C4スタジオには副調整室未設置)は、汐留本社の主調整室と(番町スタジオ内の回線室を経由して)接続されている。このため麹町分室時代とは異なり、汐留本社に受けサブを用意せず、番町スタジオの設備のみで生放送番組の制作が可能となった。
  24. ^ [日テレアップDate! (2018年9月30日放送回) の番組概要ページ - gooテレビ番組(関東版)]”. goo (2018年9月30日). 2018年9月30日閲覧。
  25. ^ a b 浅井秀樹 (2023年3月28日). “江戸時代の武家地・番町で“セレブの乱” 日テレ旧本社跡地の再開発で火花”. 週刊朝日. AERA dot. (アエラドット). 2023年3月31日閲覧。
  26. ^ a b 本間ほのみ、石平道典 (2023年3月30日). “東京のお屋敷街に高層ビル 日テレが計画、女子学院「企業は責任を」”. 朝日新聞. 2023年3月31日閲覧。
  27. ^ a b 本間ほのみ、石平道典 (2023年3月31日). “日テレ高層ビル計画、千代田区の審議会で採決見送り 東京の番町地区”. 朝日新聞. 2023年3月31日閲覧。


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