飛行場地区跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/13 14:14 UTC 版)
滑走路や格納庫などがあった。滑走路は、戦時中としては数少ないコンクリート製の滑走路で、幅50㍍ほど、長さ1500㍍(他に1498㍍、1350㍍という説もある。跡地を実測すると1500㍍程度)ほどの規模を誇っていた。戦後1970年代までに農地開発で消滅したが、その北端が直線道路となって往時をしのばせている。 滑走路跡 飛行場の滑走路の跡は、現在、その北側が直線道路になっており、上空から見れば、滑走路跡のカタチがよく分かる。滑走路の長さはおよそ1500㍍で、幅はおよそ50㍍だった。 作戦指揮所跡 滑走路の東北端にあった。そこから地下作戦室・無線室に通じる通路もあったが、今は埋もれている。 無蓋掩体壕 現在3つの無蓋掩体壕が残存している。かつては50近くあった。 隊門 往時を偲ばせる隊門が今でも残っている。 地上格納庫跡 3つあった格納庫のうち、1つについてはコンクリート製の土台の一部が現存している。
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