顔恵慶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/12 15:37 UTC 版)
顔 恵慶(がん けいけい)は清末、中華民国、中華人民共和国の外交官・政治家・教育者。北京政府では外交総長など閣僚を歴任し、一時は国務総理、臨時執政代行もつとめた。国民政府でも国際連盟中国代表団首席代表、駐ソ大使など要職を歴任した。字は駿人。弟に鉄道技術者の顔徳慶、堂弟(父方の従弟)に医学分野の教育家である顔福慶がいる。
- ^ 婁献閣(1996)、89頁による。劉国銘主編(2005)、2421頁によると、1877年5月14日(光緒3年4月初2日)生まれ。どちらかが旧暦と新暦を取り違えていると考えられるが、便宜的に前者による。
- ^ 婁献閣(1996)、89-91頁。
- ^ a b c d e f g 徐友春主編(2007)、2750頁。
- ^ a b c d e f g 劉国銘主編(2005)、2421頁。
- ^ 婁献閣(1996)、91頁。
- ^ 婁献閣(1996)、91-94頁。
- ^ 段祺瑞失脚後は、国務総理が臨時執政職を代行することになる。この状況は1927年(民国16年)6月、張作霖が大元帥に就任するまで続いた。
- ^ 婁献閣(1996)、94-96頁。
- ^ 婁献閣(1996)、96-97頁。
- ^ 婁献閣(1996)、97-99頁。
- ^ 婁献閣(1996)、99頁。
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