雪中行軍遭難事件について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 22:24 UTC 版)
「福島泰蔵」の記事における「雪中行軍遭難事件について」の解説
上記のとおり、八甲田山での大量遭難について福島は青森帰着後に事態を知ったとされているが、伊藤薫著『八甲田山 消された真実』(山と渓谷社、2018年刊)では2004年に発見された陸軍大臣宛て報告を引用し、福島率いる弘前隊が行軍中に放置された銃と兵士の凍死体を発見し青森隊の遭難を認識しながら、雪中行軍を最初に発案し成功させるための功名心から見なかったことにして行軍を続行したと指摘している。また同書では、当時の陸軍も事件に対する非難を免れるため、福島が遭難を知っていた事実を隠蔽したとしている。
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