陳円円
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陳 円円(陳圓圓、ちん えんえん、拼音:Chén Yuányuán、1623年 - 1695年[1])は、中国明代末期の美妓。秦淮八艶の一人。明末清初に活躍した軍閥武将呉三桂の妾(側室)。本姓は邢、諱は沅。字は畹芬。叛将呉三桂の心を奪った傾国の美女といわれ、その生涯は多くの伝説で包まれている。
- ^ 生年は1624年、没年は1644年、1674年、1681年とする説もある。ここでは『中国歴史文化事典』に従った。
- ^ 李自成の部将である劉宗敏に陳円円が奪われたという。
『明史』309巻 列伝第一百九十七 流賊 李自成伝「初、三桂奉詔入援、至山海関、京師陥、猶豫不進。自成劫其父襄、作書招之、三桂欲降、至灤州、聞愛姫陳沅被劉宗敏掠去、憤甚、疾帰山海、襲破賊将、自成怒、親部賊十余万、執呉襄於軍、東攻山海関、以別将従一片石越関外。三桂懼、乞降於我大清」。 - ^ 「円円曲」第二句に「慟哭六軍倶縞素、衝冠一怒為紅顔」(慟哭して六軍ともに縞素(喪服)なるに、冠を衝く一怒(冠が持ち上がるほどの激怒)するは紅顔(美しい女性)の為なり)とある。なお「慟哭六軍」は「痛哭三軍」にも作る。
- ^ 呉三桂は漢民族の李自成や南明を滅ぼし、また後には清朝にも反乱を起こしたため、満漢双方から評判が悪く、女のために寝返ったとするのは呉三桂を貶めようとする後世の粉飾である可能性もある。呉三桂が彼女のために寝返ったとする前掲の『明史』も清によって編纂された正史であり、この点での客観性は低い。
- ^ 北平落城の際に陳円円は行方不明となり、死亡したとする説もある。劉健『庭聞録』ではすでに陳円円は落城前に死んでいたとし、呉寛『平呉録』では自殺したとする。
陳円円(ちん えんえん)
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呉三桂の愛妾で、絶世の美女。李自成と呉三桂が対立、ひいては呉三桂が清に下ったのは彼女を得るためだった、という伝承がある。
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