閑谷黌とは? わかりやすく解説

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しずたに‐こう〔しづたにクワウ〕【閑谷黌】

読み方:しずたにこう

江戸時代岡山藩郷学(ごうがく)。寛文8年(1668)藩主池田光政民間子弟教育のために、領内各地手習い所設置したがまもなく廃絶し、同10年閑谷学校設立命じ元禄14年(1701)までに完成明治になって廃絶したが、ほとんどの建造物現存する講堂国宝閑谷学校

閑谷黌の画像
備前市の閑谷黌(閑谷学校

閑谷学校

(閑谷黌 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/29 19:48 UTC 版)

閑谷学校(しずたにがっこう)は、江戸時代前期に岡山藩によって開かれた庶民のための学校。所在地は岡山県備前市閑谷。「旧閑谷学校」として特別史跡に指定され、講堂は国宝に指定されている。


注釈

  1. ^ たとえば「哲学」や「科学」という語も西周の考案した訳語である。
  2. ^ 学田に充てられた友延新田は、儒教的理想とされた古代中国の井田制に倣って造成されたものである。
  3. ^ 「中庭」は「なかにわ」ではなく、建物の名称である。

出典

  1. ^ 岡山県備前市 ホームページ
  2. ^ a b [『特別史跡 旧閑谷学校』 現地配布パンフレット]
  3. ^ 日本地誌研究所 編『日本地誌』 第17巻 (岡山県・広島県・山口県)、二宮書店、1978年、9頁。 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf 資料館の掲示より読取
  5. ^ a b 学校顕彰保存会 「閑谷」への愛着つづる 「研究」第15号発刊 岡山移住の子孫が寄稿 2012.01.20 東備-16版 24頁 山陽新聞朝刊 写有 (全644字) 
  6. ^ 『山陽新聞』明治三十一年十二月十日
  7. ^ 平成13年9月14日文部科学省告示第148号
  8. ^ サイエンスチャンネル「割れない瓦の秘密に探る~旧閑谷学校・備前~」




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