長崎県立大村高等学校
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長崎県立大村高等学校(ながさきけんりつおおむらこうとうがっこう, 英: Nagasaki Prefectural Omura High School)は、長崎県大村市久原一丁目にある県立高等学校。略称は「大高」(だいこう)。
- ^ 読みは「りょうどうふき」。「文武(学問と武道)、あるいは心身など、全ては分かれるものでなく、一つの道につながっている」という意味。
- ^ 山田耕筰の自筆の楽譜が、大村高校図書館に所蔵されている。
- ^ 現・大村公園長崎県教育センター
- ^ 文部省令により、長崎県内の大村・諫早・島原・福江(五島)・厳原(対馬)・壱岐の中学校が廃止され、長崎県立長崎中学校1校のみとなった。
- ^ 1923年(大正12年)1月に長崎県立諌早中学校となる。現在の長崎県立諫早高等学校の前身。
- ^ a b 旧制から新制への移行期における特別措置として設置され、旧制中等教育学校(旧制中学校・高等女学校)の2・3年生(1945年(昭和20年)4月と1946年(昭和21年)4月の入学生)を収容し、1949年(昭和24年)3月に最後の卒業生を送り出し、廃止された。
- ^ 1938年(昭和13年)4月に官立(国立)移管に伴い、長崎師範学校女子部となる。長崎大学教育学部の前身。
- ^ 平成23年度 ハイスクールガイダンス 長崎県教育委員会
- ^ 長崎県教育だより ながさき(保護者向け情報誌)「げんき広場」No.78 令和3年7月発行「文理探求科(仮称) 大学進学重点学科の設置 「深い学び」による高い進路目標の実現!」
- ^ 漕艇(ボート)部は、明治期、長崎に寄港した英国海軍の軍人たちが、ボートの楽しさを教えたことが、旧制大村中学ボートの始まり。なお、歴史的旧跡が艇庫となっている点に特長がある。所在地は、御船蔵(おふなぐら)跡とよばれる。大村純長の時代に、構築された。ほぼ当時のまま現存している。練習には寺島おもいで漕艇場(東浦漁港)を使用している。
- ^ 参考文献:「もう一つの維新史」
- ^ 参考文献:「野口山荘随筆」
- ^ 参考文献:「不帰春春」
- ^ a b c 参考文献:「大村高校百年史」
- ^ マドリッド王室造幣局製。
- 1 長崎県立大村高等学校とは
- 2 長崎県立大村高等学校の概要
- 3 概要
- 4 沿革
- 5 分離・独立した学校
- 6 部活動
- 7 交通アクセス
- 8 関連項目
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