長井琳章とは? わかりやすく解説

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長井琳章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/16 17:41 UTC 版)

長井 琳章
生誕 1818年文政元年7月26日
死没 1900年明治33年)
時代 江戸時代
明治時代
地域 日本
学派 本草学
研究分野 本草学
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長井 琳章(ながい りんしょう、1818年文政元年7月26日) - 1900年明治33年))は、江戸時代後期の儒学者徳島藩医。

長男はエフェドリンの発見者で日本薬学の父として知られる長井長義。孫は外交官長井亜歴山

生涯

1818年文政元年)、阿波国名東郡常三島村(現在の徳島市中常三島町)で徳島藩医である長井琳策(才右衛門武吉)の子として生まれる。初め琳泉と称した。名は長済。通称は琳章。正室は田鶴子[1]

1845年弘化2年)に正室・田鶴子との間に長男の長義が誕生。明治維新後は徳島藩庁に出仕し、少属となり、鉱山係を勤め、小原春造に協力[2]

1900年明治33年)、死去。

脚注

  1. ^ 1960年,日本薬学会『長井長義伝』
  2. ^ 1973年『阿波人物誌』



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