錦江線の戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 15:31 UTC 版)
上述のとおり、第24師団長(ディーン少将)は、師団の全力をもって、錦江南岸に設定する主戦闘陣地において敵を阻止することを企図していた。しかし、車嶺山脈での遅滞戦闘において第21連隊がほとんど壊滅したことによって、師団の戦力はわずか3個大隊にまで減少してしまい、ディーン少将は、錦江線で敵を阻止するという構想を破棄せざるを得なかった。このことから、ディーン少将は、錦江線で数日遅滞したのち、京釜本道正面と公州道正面の部隊を連携させつつ大田に求心的に後退させ、ここで防御を展開して、第1騎兵師団の来援を待つことを構想した。これは第8軍の命令(錦江線以南への敵の進出を阻止する)には反し、また士気にも悪影響が懸念されたことから、表面では錦江線の固守を命じていたが、連隊長に対してはその真意を示唆していた。
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