野淵昶
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野淵 昶(のぶち あきら、1896年〈明治29年〉6月22日[2] - 1968年〈昭和43年〉2月1日[3])は日本の舞台演出家、映画監督。
- ^ 野淵輝編『野淵昶の生涯とその業績』1969年、24頁。
- ^ 『日本映画・テレビ監督全集』、キネマ旬報社、1988年、544頁。
- ^ 『京都新聞』(本版)夕刊、1968年2月2日(金)、11頁。
- ^ 野淵輝編『野淵昶の生涯とその業績』1969年、1頁。
- ^ 野淵輝編『野淵昶の生涯とその業績』1969年、2頁。
- ^ 橿原考古学研究所編『橿原考古学研究所論集 第七』岡幸二郎「明治期の奈良県考古学界―野淵龍潜をめぐって―」、吉川弘文館、1984年、135頁。
- ^ 野淵輝編『野淵昶の生涯とその業績』1969年、2頁。
- ^ 『日本映画・テレビ監督全集』、キネマ旬報社、1988年、544頁。
- ^ 大岡欽治『関西新劇史』、東方出版、1991年、603頁。
- ^ 松本克平『日本新劇史 : 新劇貧乏物語』、筑摩書房、1966年、641頁。
- ^ 『新興キネマ』三月號第四巻「特輯 新興キネマ監督名鑑」、映光社、1935年、72頁。
- ^ 『京都新聞』(本版)夕刊、1968年2月2日(金)、11頁。
- ^ 『京都新聞』(本版)夕刊、1968年2月2日(金)、11頁。
- ^ 森光子『人生はロングラン』、日本経済新聞出版社、2009年、48頁。
- ^ 『京都新聞』(本版)夕刊、1968年2月2日(金)、11頁。
- ^ 1940年度の「キネマ旬報ベスト・テン」に選出。
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