都藍可汗とは? わかりやすく解説

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都藍可汗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 02:24 UTC 版)

都藍可汗(とらんかがん、拼音:Dōulán kĕhàn、? - 599年)は、突厥可汗沙鉢略可汗の子。トゥーラーン・カガン。都藍可汗というのは称号で、正しくは頡伽施多那都藍可汗(けつきゃしたなとらんかがん)といい、姓は阿史那氏、名は雍虞閭(イォンヨウル)という。


  1. ^ タルドゥシュ・カガン(Tarduš qaγan)とは、タルドゥシュ(Tarduš)すなわち西部を管轄する小可汗のことで、西面可汗のこと。ビザンツ史料ではタルドゥ(Ταρδου - Tardu)と記された。これに対し東面可汗はテリス・カガン(Tölis qaγan、突利可汗)という。
  2. ^ テリス・カガン(Tölis qaγan、突利可汗)とは、テリス(Tölis)すなわち東部を管轄する小可汗のことで、東面可汗のこと。これに対し東面可汗はタルドゥシュ・カガン(Tarduš qaγan)という。


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