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郷古潔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/01/07 11:10 UTC 版)

郷古 潔(ごうこ きよし、1882年11月13日 - 1961年4月28日)は、三菱重工業社長、太平洋戦争時の東條内閣顧問。戦後はA級戦犯として逮捕され、公職追放された。

地域の教育者であった郷古玉三郎、ゆうの長男として岩手県水沢不断町(現・奥州市)にて生まれた。先祖は仙台藩伊達氏の一門である留守家(るすけ)に仕えた藩医。盛岡中学校第一高等学校東京大学教養学部)、東京帝国大学法科大学法律科を経て、1908年8月、三菱合資会社に入社。入社後すぐに九州の炭鉱へ転勤を命じられた。後には三菱造船、神戸造船、三菱重工、日本航空会社と三菱財閥の各社で勤務。

1941年には三菱重工の社長に就任。1943年、東條英機の内閣顧問となるが、三菱の総帥岩崎小彌太に相談せずに決めたため怒りを買い、「三菱人は政治に関与せず」の伝統を破ったとして社長を解任され、閉職の会長に退く。時局の進展にともない次第にファシズム体制の戦略的指導者に押しあげられ、大政翼賛会の生産拡充委員長を務め、敗戦直前には軍需省顧問となった。よくドイツのクルップと日本の三菱は戦時中に軍需生産の中心だったので「軍需廠(ぐんじゅしょう)」といわれていた。

1945年12月、連合国より第三次戦犯指名され、A級戦犯として逮捕され巣鴨刑務所に収監。連合国総司令部渉外局は「三菱重工業社長郷古潔氏が東條家に対して現金、株式その他によつて総額一千万円を贈与した」等の調査結果を発表。出所後は公職追放などの処分を受けた。1951年、追放解除後は在京岩手振興協会の会長となる等、財界に復帰し、財界のご意見番となった。


先代:
-
日本航空協会会長
初代:1952年 - 1961年
次代:
荘田泰蔵




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