遣支艦隊とは? わかりやすく解説

遣支艦隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/24 13:47 UTC 版)

遣支艦隊(けんしかんたい)は、旧日本海軍の部隊。略字はCF[1]


注釈

  1. ^ 第七戦隊(司令官山岡豊一少将)は1917年(大正6年)12月15日に、防護巡洋艦千代田砲艦宇治隅田伏見鳥羽)をもって編成され、第三艦隊に編入された[2]
  2. ^ 1927年(昭和2年)5月16日に新編された第二遣外艦隊[5]の行動区域の基準は「台湾海峡ヨリ蘭貢ニ至ル大陸沿海、ニューギニア以西アンダマン列島以東ノ叢島沿海及台湾澎湖列島」であった[6]
  3. ^ 第三艦隊(司令長官野村吉三郎)は、第一遣外艦隊・第三戦隊・第一水雷戦隊第一航空戦隊をもって新編された[14]。1933年(昭和8年)5月20日に施行された艦隊平時編制標準では、第三艦隊(第十戦隊、第十一戦隊、第五水雷戦隊)となった[15]
  4. ^ 「揚子江口付近及下流三角地帯ノ作戦ニ任ズベキ第十三戦隊及上海方面根拠地隊等」が支那方面艦隊附属となった[19]
  5. ^ 第一遣支艦隊参謀長と漢口特根司令官を兼務していた一瀬信一少将の役職は、第一遣支艦隊参謀長のみとなる[25]。漢口特根副長の末広由巳大佐が漢口警備隊司令となった[25]大田実大佐も横須賀鎮守府附となり、第一遣支艦隊を去った[25]
  6. ^ IC作戦部隊(指揮官高須四郎第二遣支艦隊司令長官)の軍隊区分は、主隊(IC部隊指揮官直率、鳥海)、第一護衛隊(指揮官藤田類太郎第三水雷戦隊司令官)、第二護衛隊(指揮官河瀬四郎第一水雷戦隊司令官)、哨戒部隊(第5駆逐隊司令佐藤康夫中佐)、機動部隊(指揮官後藤英次第八戦隊司令官)、艦上機部隊(指揮官戸塚道太郎第二航空戦隊司令官)、水上機部隊(指揮官安藤栄城神川丸艦長)、南支航空部隊(指揮官寺岡謹平第三聯合航空隊司令官)、海南島部隊(指揮官福田良三海南島根拠地隊司令官)、部隊補給(IC部隊指揮官直率)であった[37]
  7. ^ 南遣艦隊(司令長官平田昇中将)は[61]、練習巡洋艦香椎、海防艦占守、若干の特設艦船と陸上部隊で編制された[22]
  8. ^ 連合艦隊からは第6駆逐隊第2小隊()が派遣されている[66]
  9. ^ 厦門方面特別根拠地隊司令官畠山耕一郎少将は第三艦隊司令部附となり、井原美岐雄大佐が厦門警備隊司令となった[25]
  10. ^ 新編時の第四艦隊の担任は「本邦、関東州、内南洋群島、満州国、支那、東亞露領、仏領印度支那、暹羅、馬来半島、南緯二十五度以北 東経九十五度以東 東経百七十五度以西ノ外南洋各群島(豪州ヲ含マズ)沿海及特ニ令セラレタル海面」であった[6]
  11. ^ 第四艦隊(司令長官片桐英吉中将)は「主トシテ内南洋方面ニ於ケル戦力ノ練成及兵要調査ニ当ラシムル為」に編制され、実質的に新部隊であった。新編(1939年11月15日)時点では第十七戦隊(千歳神威)と第30駆逐隊睦月望月)のみ、わずか4隻の独立艦隊だった。翌年にかけて増強されている[20]
  12. ^ 1940年(昭和15年)11月15日、第一艦隊隷下に第七航空戦隊(千歳、瑞穂)が新編され、1941年(昭和16年)4月10日に連合艦隊附属の第十一航空戦隊(千歳、瑞穂)となった[76]
  13. ^ 黛は1942年(昭和17年)2月20日に第三艦隊附となり[79]、まもなく水上機母艦秋津洲艤装員長/艦長となった[80]
  14. ^ 大杉守一少将(第三遣支艦隊参謀長兼青島方面特別根拠地隊司令官)の役職は、第三遣支艦隊参謀長兼青島警備隊司令となった[25]

出典

  1. ^ a b 戦史叢書91 1975, pp. 435–438昭和十四年度帝国海軍作戦計画改定 ― 第六艦隊登場
  2. ^ 戦史叢書72 1974, pp. 115–116第七戦隊の編成と警備任務
  3. ^ 戦史叢書72 1974, p. 120a遣支艦隊の編成及び第一遣外艦隊への改編
  4. ^ a b 戦史叢書72 1974, p. 120b.
  5. ^ 戦史叢書72 1974, p. 168第二遣外艦隊の新編
  6. ^ a b c 戦史叢書91 1975, pp. 358b-359.
  7. ^ 戦史叢書72 1974, pp. 484–485支那方面艦隊の編成と監視任務の改定
  8. ^ a b 戦史叢書91 1975, pp. 358a-359支那方面艦隊・第四艦隊新編と艦隊平時編制標準改定 ― 昭和十二年十月
  9. ^ a b c 戦史叢書91 1975, pp. 359–360支那事変に伴う戦時編制の発足 ― 昭和十二年十一月
  10. ^ a b c d 戦史叢書79 1975, pp. 128–130支那方面艦隊の改編(遣支艦隊の創設)
  11. ^ a b c 戦史叢書91 1975, pp. 432–435三コ遣支艦隊の新編と第四艦隊の独立 ― 昭和十四年十一月十五日
  12. ^ 戦史叢書79 1975, p. 001a付表第一(「中國方面海軍作戦<2>」)中國方面主要作戦年表
  13. ^ 戦史叢書72 1974, p. 188第三艦隊の編成と派遣陸軍部隊の護衛、上陸掩護
  14. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 251–253昭和六年度 ― 満州・上海事変と第三艦隊新編
  15. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 256–258艦隊平時編制標準改定と聯合艦隊の常設 ― 昭和八年
  16. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 355–356支那事変の大海令
  17. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 356–357現地艦隊への増勢
  18. ^ a b c d e 戦史叢書79 1975, p. 001b付表第一
  19. ^ a b c d 戦史叢書91 1975, p. 434.
  20. ^ a b 戦史叢書91 1975, pp. 445–446第四艦隊の意義と応急戦時編制
  21. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 513–514第三艦隊・第一航空艦隊・海南警備府新編
  22. ^ a b 戦史叢書91 1975, p. 516a第五艦隊・南遣艦隊の追加的新編
  23. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 431–432艦隊編制の年度戦時編制からの遊離
  24. ^ a b c d 戦史叢書79 1975, p. 129.
  25. ^ a b c d e 昭和17年1月15日(発令1月15日付)海軍辞令公報(部内限)第794号 pp.38-39」 アジア歴史資料センター Ref.C13072083800 
  26. ^ 戦史叢書79 1975, pp. 381–382〔既存兵力の整理〕
  27. ^ 戦史叢書79 1975, p. 002a付表第二(「中國方面海軍作戦<2>」)支那方面艦隊主要部隊指揮官一覧表
  28. ^ a b c d 戦史叢書79 1975, p. 002b付表第二
  29. ^ 戦史叢書72 1974, p. 497.
  30. ^ 戦史叢書79 1975, pp. 4–7支那方面艦隊の兵力配備
  31. ^ 戦史叢書91 1975, p. 514.
  32. ^ 戦史叢書79 1975, p. 241a海南警備府の新設
  33. ^ 戦史叢書91 1975, p. 438.
  34. ^ 戦史叢書79 1975, p. 197IC部隊旗艦鳥海
  35. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 518–519北部仏印進駐の紛糾と米国の対応
  36. ^ 戦史叢書79 1975, pp. 192–195〔大命の下令〕
  37. ^ 戦史叢書79 1975, pp. 195–199.
  38. ^ 戦史叢書91 1975, p. 519.
  39. ^ 戦史叢書79 1975, pp. 222–224上陸開始、護衛隊離脱
  40. ^ 戦史叢書79 1975, p. 225b〔 IC部隊の編制解除〕
  41. ^ 戦史叢書79 1975, p. 225a〔関係者の処分〕
  42. ^ 戦史叢書79 1975, p. 235泰、佛印紛争調停
  43. ^ a b c 戦史叢書91 1975, pp. 520–521.
  44. ^ 戦史叢書79 1975, pp. 244–256対佛印威力顕示作戦(S作戦)
  45. ^ 戦史叢書24 1969, pp. 22–24泰、佛印紛争とS作戦
  46. ^ 戦史叢書24 1969, pp. 23–24.
  47. ^ 戦史叢書79 1975, pp. 259–269陸海軍協同の封鎖作戦
  48. ^ 戦史叢書79 1975, p. 261.
  49. ^ 戦史叢書24 1969, pp. 99–101第三艦隊の新編と行動
  50. ^ a b 戦史叢書79 1975, p. 241b第三艦隊の新設
  51. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 526–528南部仏印進駐の決定 ― 「対米英戦ヲ辞セズ」
  52. ^ 戦史叢書79 1975, p. 294陸軍の動き
  53. ^ 戦史叢書79 1975, pp. 288–291南部佛印進駐計画
  54. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 528a-530全面禁輸と軍令部
  55. ^ 戦史叢書79 1975, p. 291.
  56. ^ a b c 戦史叢書91 1975, p. 528b.
  57. ^ a b 戦史叢書24 1969, pp. 30–32南部佛印進駐作戦(「ふ」号作戦)
  58. ^ 戦史叢書79 1975, p. 298a作戦構想
  59. ^ 戦史叢書79 1975, pp. 298b-304作戦経過
  60. ^ 戦史叢書24 1969, pp. 102–103南遣艦隊(独立艦隊)の新編
  61. ^ 戦史叢書79 1975, pp. 305–307南遣艦隊の新設
  62. ^ 戦史叢書79 1975, pp. 306–307南遣艦隊の進出と「ふ」号作戦部隊の解散
  63. ^ 戦史叢書79 1975, p. 315南部佛印進駐と南遣艦隊の設置
  64. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 547–548.
  65. ^ 戦史叢書79 1975, pp. 338–341作戦準備
  66. ^ 戦史叢書79 1975, p. 340.
  67. ^ 戦史叢書79 1975, pp. 344–345兵力部署
  68. ^ 戦史叢書79 1975, pp. 356a-357香港攻略作戦部隊の解散
  69. ^ 戦史叢書79 1975, p. 357a廣東方面特別根拠地隊の改称
  70. ^ 戦史叢書79 1975, p. 357b厦門方面特別根拠地隊の廃止
  71. ^ 戦史叢書79 1975, pp. 357c-358第十五戦隊の解隊
  72. ^ 戦史叢書79 1975, p. 366沖輸送
  73. ^ 戦史叢書79 1975, pp. 293–294.
  74. ^ 戦史叢書72 1974, pp. 431–432第四艦隊及び第十軍の編成
  75. ^ 戦史叢書79 1975, p. 130.
  76. ^ 戦史叢書91 1975, p. 002a付表第二 聯合艦隊編制推移表(昭和十四年十一月十五日~十六年十二月十日)
  77. ^ 生出、黛治夫 1996, p. 23.
  78. ^ 重巡十八隻 2015, pp. 298–300.
  79. ^ 昭和17年2月21日(発令2月20日付)海軍辞令公報(部内限)第815号 p.5」 アジア歴史資料センター Ref.C13072084300 
  80. ^ 生出、黛治夫 1996, p. 35.
  81. ^ 戦史叢書79 1975, p. 357d第三遣支艦隊の廃止


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