豫州晋熙郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/24 08:40 UTC 版)
本節では、現在の安徽省安慶市一帯に設置された晋熙郡について述べる。東晋の義熙年間、廬江郡南部が分割されて晋熙郡が立てられた。晋熙郡は豫州に属し、郡治は懐寧県に置かれた。 南朝宋のとき、晋熙郡は南豫州に属し、懐寧・新冶・陰安・南楼煩・太湖左の5県を管轄した。 南朝斉のとき、晋熙郡は豫州に属し、新冶・陰安・懐寧・南楼煩・斉興・太湖左の6県を管轄した。 南朝梁のとき、晋熙郡は晋州に転属した。 北斉のとき、晋熙郡は江州に転属した。 南朝陳のとき、晋熙郡は再び晋州に属した。 583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、晋熙郡は廃止されて、熙州に編入された。
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