護国丸 (特設巡洋艦)
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護国丸(ごこくまる)は、大阪商船が南アフリカ航路へ投入するために建造した、報国丸級貨客船の3番船。貨客船として使用されないまま日本海軍に徴用され、太平洋戦争では特設巡洋艦となるが事実上輸送船として運用される。のちに正式に特設運送船に転じたが、1944年(昭和19年)11月10日に潜水艦の雷撃で沈没した。
注釈
- ^ 建造中の1942年1月に三井造船玉野造船所に名称変更[1][2]。
- ^ 大阪商船の嘱託画家大久保一郎氏が、生存船員等の証言を基に描いた絵の中に護国丸の最期を描いたものがあり、この絵ではデリックポストの数が姉妹船と同じ4基となっている[46]。
- ^ 日向記録等で「槇」が加わっていたとする資料があるが、「槇」はレイテ沖海戦で中破して修理中であり[71]、修理後の初任務は空母「隼鷹」護衛だった[72]。実際に四航戦と行動を共にしたのは、同型艦の「桐」であった[73]。
- ^ (昭和19年11月9日)[74]0615日向、有川湾発五島北方にて伊勢、(司令官)31S、五十鈴、霜月、桑、槇、杉、桃、合同し茲に南方輸送部隊H部隊の集合成る。指揮官31S司令官、速力20Kt馬公に向う。
- ^ 「軍艦日向の思い出」●艦長付(大尉)進藤一/四、南号作戦(中略)[75]夕刻、内地に向って北上する護國丸に出合った。「必勝を祈る」という信号が来た。「御期待に副わんことを期す」と返信されて、互に洋上で励まし会って別れた。この、護國丸は、翌朝になり、壹岐附近で、敵潜水艦の雷撃を受け、撃沈されてしまった。涙が止まらなかった。平家物語の「生者必滅、会者常離」を思い出しつつ、乗員を冥福を祈った。一隻の駆逐艦の護衛もなく、北上していった護國丸に、申訳ない気持ちで一杯だった。(以下略)
- ^ (昭和19年11月10日)[74]昨日五島北方にて反航したる護国丸は本日0340壱岐附近にて敵潜による撃沈せらる。
出典
- ^ 株式会社玉造船所
- ^ a b c d e f g h i j #野間p.422
- ^ 野間, 63ページ
- ^ a b c #特設原簿p.10 2
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- ^ Hokoku_Maru_class
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- ^ #木俣軽巡p.310
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- ^ a b #木俣軽巡p.351
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- ^ a b 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』241-242ページ
- ^ 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』241ページ、「昭和16年12月1日~昭和18年3月15日 第9戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)」第51画像
- ^ 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』243-244ページ
- ^ a b 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』245ページ
- ^ 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』245ページ、『南東方面海軍作戦<3>ガ島撤収後』34-36ページ、『日本軽巡戦史』362ページ
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- ^ #丙号輸送部隊pp.43-44, p.46
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- ^ 佐藤、艦長続編 1984, pp. 258–259.
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- ^ a b c d e #SS-220, USS BARB, Part 2p.7
- ^ a b c #SS-220, USS BARB, Part 1p.288
- ^ a b c 『日本海軍史』第10巻、476頁。
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