護国丸 (特設巡洋艦)とは? わかりやすく解説

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護国丸 (特設巡洋艦)

(護國丸 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/25 17:21 UTC 版)

護国丸(ごこくまる)は、大阪商船が南アフリカ航路へ投入するために建造した、報国丸級貨客船の3番船。貨客船として使用されないまま日本海軍に徴用され、太平洋戦争では特設巡洋艦となるが事実上輸送船として運用される。のちに正式に特設運送船に転じたが、1944年(昭和19年)11月10日に潜水艦の雷撃で沈没した。


注釈

  1. ^ 建造中の1942年1月に三井造船玉野造船所に名称変更[1][2]
  2. ^ 大阪商船の嘱託画家大久保一郎氏が、生存船員等の証言を基に描いた絵の中に護国丸の最期を描いたものがあり、この絵ではデリックポストの数が姉妹船と同じ4基となっている[46]
  3. ^ 日向記録等で「」が加わっていたとする資料があるが、「槇」はレイテ沖海戦で中破して修理中であり[71]、修理後の初任務は空母「隼鷹」護衛だった[72]。実際に四航戦と行動を共にしたのは、同型艦の「桐」であった[73]
  4. ^ (昭和19年11月9日)[74]0615日向、有川湾発五島北方にて伊勢、(司令官)31S、五十鈴、霜月、桑、槇、杉、桃、合同し茲に南方輸送部隊H部隊の集合成る。指揮官31S司令官、速力20Kt馬公に向う。
  5. ^ 「軍艦日向の思い出」●艦長付(大尉)進藤一/四、南号作戦(中略)[75]夕刻、内地に向って北上する護國丸に出合った。「必勝を祈る」という信号が来た。「御期待に副わんことを期す」と返信されて、互に洋上で励まし会って別れた。この、護國丸は、翌朝になり、壹岐附近で、敵潜水艦の雷撃を受け、撃沈されてしまった。涙が止まらなかった。平家物語の「生者必滅、会者常離」を思い出しつつ、乗員を冥福を祈った。一隻の駆逐艦の護衛もなく、北上していった護國丸に、申訳ない気持ちで一杯だった。(以下略)
  6. ^ (昭和19年11月10日)[74]昨日五島北方にて反航したる護国丸は本日0340壱岐附近にて敵潜による撃沈せらる。

出典

  1. ^ 株式会社玉造船所
  2. ^ a b c d e f g h i j #野間p.422
  3. ^ 野間, 63ページ
  4. ^ a b c #特設原簿p.10 2
  5. ^ a b c d e f #日本汽船名簿
  6. ^ Hokoku_Maru_class
  7. ^ a b c #呉鎮1709pp.43-44
  8. ^ #護国丸1908p.42
  9. ^ #護国丸1811pp.31-34
  10. ^ #護国丸1905p.25
  11. ^ #木俣軽巡p.310
  12. ^ #写真週報第124号p.15
  13. ^ #木俣軽巡pp.350-351
  14. ^ #八艦1712p,46
  15. ^ a b #木俣軽巡p.351
  16. ^ #外南洋部隊(1)pp.40-41
  17. ^ #外南洋部隊(2)p.28
  18. ^ #外南洋部隊(1)pp.41-42
  19. ^ 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』230-231、240-241、243-245ページ
  20. ^ 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』231ページ
  21. ^ 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』240ページ
  22. ^ a b 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』241ページ
  23. ^ a b 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』241-242ページ
  24. ^ 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』241ページ、「昭和16年12月1日~昭和18年3月15日 第9戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)」第51画像
  25. ^ 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』243-244ページ
  26. ^ a b 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』245ページ
  27. ^ 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』245ページ、『南東方面海軍作戦<3>ガ島撤収後』34-36ページ、『日本軽巡戦史』362ページ
  28. ^ 、「昭和16年12月1日~昭和18年3月15日 第9戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)」第51画像
  29. ^ #木俣軽巡p.363
  30. ^ #丙号輸送部隊pp.43-44, p.46
  31. ^ 戦史叢書79 1975, p. 392a支那方面艦隊の海上交通保護作戦
  32. ^ #護国丸1809pp.14-15
  33. ^ #木俣軽巡p.497
  34. ^ a b 戦史叢書79 1975, p. 392b.
  35. ^ #護国丸1810p.3
  36. ^ #護国丸1810pp.3-4
  37. ^ #木俣軽巡p.468
  38. ^ #護国丸1810pp.19-20
  39. ^ #木俣軽巡p.504
  40. ^ #護国丸1810p.8
  41. ^ #護国丸1810p.9
  42. ^ #護国丸1811pp.3-4
  43. ^ #護国丸1811pp.5-6
  44. ^ #護国丸1811pp.31-32
  45. ^ #護国丸1812pp.5-6
  46. ^ a b c 護国丸の最期
  47. ^ #護国丸1812p.13,25
  48. ^ #護国丸1812p.7,13,22
  49. ^ #護国丸1812p.24
  50. ^ #護国丸1812p.8 pp.25-26
  51. ^ #SS-254, USS GURNARDpp.196-197
  52. ^ #護国丸1812p.8,26
  53. ^ #護国丸1902p.32
  54. ^ #護国丸1905p.5
  55. ^ #駒宮p.195
  56. ^ #護国丸1906p.42
  57. ^ #護国丸1907pp.3-7
  58. ^ #護国丸1907p.7
  59. ^ #護国丸1908pp.32-33
  60. ^ #駒宮p.217
  61. ^ #護国丸1908pp.36-38
  62. ^ #駒宮p.238
  63. ^ #駒宮p.239
  64. ^ #駒宮p.246
  65. ^ #野間pp.422-423
  66. ^ a b #響の栄光p.356
  67. ^ #響の栄光pp.321-322, p.356
  68. ^ a b c d e #野間p.423
  69. ^ #S19.06十一水戦(4) p.53(第31戦隊機密第051530番電)
  70. ^ 秋月型(光人社) 2015, pp. 309–310僚艦沈没の悲報しきり
  71. ^ 佐藤、艦長続編 1984, pp. 258–259.
  72. ^ #S19.06十一水戦(4) p.57(GF機密第161818番電)
  73. ^ 佐藤、艦長続編 1984, p. 137.
  74. ^ a b 日向、追憶 1977, p. 92.
  75. ^ a b c 日向、追憶 1977, pp. 124–125.
  76. ^ #SS-220, USS BARB, Part 1p.287
  77. ^ #SS-220, USS BARB, Part 2p.2
  78. ^ a b c d e #SS-220, USS BARB, Part 2p.7
  79. ^ a b c #SS-220, USS BARB, Part 1p.288
  80. ^ a b c 『日本海軍史』第10巻、476頁。


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