護国神社跡とは? わかりやすく解説

護國神社跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/15 15:52 UTC 版)

城山 (徳島市)」の記事における「護國神社跡」の解説

1906年招魂社として山腹遷座し、1938年11月29日本丸跡遷座、翌1939年護國神社となった1945年7月4日戦失、1958年4月4日再建本丸跡西端社殿東端社務所があったが、2003年徳島市雑賀町遷座跡地は完全に更地となり、現在は西端水盤のみ残る(ただしかつての手舎は東にあった)。東二の丸跡に、1対の石灯篭石柱など、護國神社解体時の廃材らしき古びた石材が詰まれている。

※この「護國神社跡」の解説は、「城山 (徳島市)」の解説の一部です。
「護國神社跡」を含む「城山 (徳島市)」の記事については、「城山 (徳島市)」の概要を参照ください。

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