葫芦島在留日本人大送還
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葫芦島在留日本人大送還(ころとうざいりゅうにほんじんだいそうかん)は、連合国のポツダム宣言に付随した協議により、中国国民政府(陸上輸送部分)とアメリカ(海上輸送部分)の責任において行われた葫芦島(コロ島)からの日本人難民の送還事業[1]。アメリカ軍はブリーガー作戦の一環として行った。中国では「葫芦島日僑大遣返」といわれる。
- ^ a b c “在留日本人送還60周年(1) 人道主義の記念碑”. 人民網日本語版 (中国網). (2006年6月23日) 2013年12月30日閲覧。
- ^ 『皇弟溥傑の昭和史』, p. 46.
- ^ 半藤一利『ソ連が満洲に侵攻した夏』文藝春秋、1999年、56頁。ISBN 4163555102。全国書誌番号:99114034。、2002年版 ISBN 4167483114
- ^ a b 佐藤量「戦後中国における日本人の引揚げと遣送」『立命館言語文化研究= 立命館言語文化研究』第25巻第1号、立命館大学国際言語文化研究所、2013年10月、155-171頁、CRID 1390853649752718208、doi:10.34382/00002779、hdl:10367/7972、ISSN 0915-7816。
- ^ a b c d 『昭和史の天皇』 6巻、読売新聞社、1969年4月1日、161,293,182,189-195頁。
- ^ 満州電々追憶記集[赤い夕陽]刊行会 編『赤い夕陽』「赤い夕陽」刊行会事務局、1965年。
- ^ 中台恭江「高碕達之助と満州国避難民の抑留・留用、引揚」『東洋英和大学院紀要』第16巻、東洋英和女学院大学大学院、2020年3月、25-42頁、CRID 1050566774754123392、ISSN 13497715。
- ^ a b 丸山邦雄『なぜコロ島を開いたか』永田書房、1970年10月30日、37-51,93頁。
- ^ a b 森川哲郎『満州の暴れ者(もん) 敵中突破五千キロ』(徳間書店, 1972年)P150-151など
- ^ ポール・邦昭・マルヤマ(Maruyama, Paul Kuniaki)、高作自子『満州奇跡の脱出 : 170万同胞を救うべく立ち上がった3人の男たち』柏艪舎, 星雲社 (発売)、2011年。ISBN 9784434160554。全国書誌番号:22037620 。
《原著:Paul K. Maruyama, "Escape from Manchuria" (iUniverse、2009) ISBN 9781450205818 (ハードカバー) & 9781450205795 (ペーパーバック) (英文)》[要ページ番号] - ^ 『皇弟溥傑の昭和史』, p. 75.
- ^ 武蔵正道『死線を越えて : アジアの曙』自由社、2000年。ISBN 4915237257。 NCID BB15093480。
武蔵正道『死線を越えて : アジアの曙』(第6刷増補)自由社、2006年。ISBN 4915237257。 - ^ NHKスペシャル:引き揚げはこうして実現した ~旧満州・葫蘆(ころ) 島への道~(NHK総合テレビ、2008年12月8日(月) 午後10時00分~10時49分)放映
- ^ 『皇弟溥傑の昭和史』, p. 63.
- ^ 『皇弟溥傑の昭和史』, p. 67.
- ^ 『皇弟溥傑の昭和史』, p. 104.
- ^ 特集ドラマ『どこにもない国』
- ^ 番組エピソード 事実は小説より奇なり【実話ドラマ特集】-NHKアーカイブス
- 1 葫芦島在留日本人大送還とは
- 2 葫芦島在留日本人大送還の概要
- 3 引揚げの実施
- 4 引揚げのエピソード
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