葛西時清
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/05 01:43 UTC 版)
葛西 時清(かさい とききよ)は、鎌倉時代中期の武将。鎌倉幕府の御家人。葛西氏の第3代或いは第4代当主である。葛西 清時(かさい きよとき)とも呼ばれる。
注釈
- ^ 「仙台葛西系図」で清親の子、清経の父にあたる人物として掲載のある葛西清時(字が逆転)と同一人物か。今野慶信は実名の逆転の使用例として千葉氏(宗胤と胤宗、貞胤と胤貞など)を挙げ、同様にして北条氏得宗家より1字を賜う惣領家から更に偏諱を下賜される庶氏家の系譜を示しているとする見解を示している[1]。
- ^ 今野慶信は、建治元年(1275年)の「六条八幡宮造営注文」[2]で清親が比較的上位の第21位に位置していること、同文書で「鎌倉中」(=鎌倉に本籍を持つ御家人[3])として登録される家柄であったことが窺えることから、葛西氏が有力御家人の一つであったとし、更に、紺戸淳の論考[4]に基づいて、石田悦夫作成の系譜[5]にある葛西氏当主の実名(諱)に着目し、時清が泰時、清経が経時、宗清(「仙台葛西系図」では清宗)が時宗、清貞(「盛岡葛西系図」では貞清)が貞時から偏諱を受けたとする見解を示している[6]。
出典
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