花嫁の養成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 12:25 UTC 版)
開拓団への花嫁斡旋はは1934年ごろから始まるが、そのころは開拓団を送り出した市町村を中心に募集が行われた。募集は各地域に数が割り当てられており、長野県では県の学務部長から自治体の首長、学校長、女子青年団長宛てに通達されている。1938年頃から花嫁養成に対して公的な助成が始まるが、女子拓殖事業が本格的になるのは1939年に『満洲開拓政策基本要綱』が閣議決定されてからである。 満洲開拓民の大量送出に伴い一般婦女子の積極的進出の機運を喚起し開拓民の伴侶者として確乎たる信念を有する女子の育成に努むるものとす。 目的達成の為地方における女子指導者の養成を図ると共に女子訓練施設の設置拡充を期し、尚各種関係団体の指導女性を行うものとす。 日本国政府は女性指導者養成所を設置し、地方における女子訓練、講習会などの指導に当たる女子、及び満洲において活動せんとする女子の養成を行う。 — 「女子指導訓練施設に関する件」『満洲開拓政策基本要綱』 これ以降、花嫁養成と配偶者斡旋にあたる指導者の養成と、講習会などの実施が推進された。
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