編修の様子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 08:03 UTC 版)
1928年(昭和3年)に編修官補になった深谷博治は 、編修の様子を回顧して次のように語っている。実際に初稿を執筆するのは編修官か編修官補であり、大体は編集官補が書いて編修官が修正する。原稿は三上編修官長を経て金子総裁に上げる。三上編修官長や金子総裁が直しを入れることもあり、その直しが編修官の意見と合わないときは議論して最終決定する。 金子総裁は「私心の強い人」であり、自分が関係した事を非常に詳しく書かないと満足しない。編修官の渡辺幾治郎は金子総裁に向かって「閣下が関係されたところだけくわしく書いては変じゃないですか」とずけずけ言う。金子総裁は渡辺編修官の部下の深谷編修官補を呼び出して「渡辺が書かんから、おまえ書け」と命じる。こういうこともあって渡辺編修官は金子総裁に「にらまれた」という。
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