維新の党乗っ取り未遂騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 07:08 UTC 版)
「小沢一郎」の記事における「維新の党乗っ取り未遂騒動」の解説
2015年下半期頃に維新の党が東京組と大阪組に分裂した原因は表向きは柿沢幹事長の解任騒動である。しかし、水面下では橋下派が党代表選で主導権を握るべく党員も議員も一人一票とする方針を決めたところ、これに小沢が目をつけ、民主党など野党との共闘路線を説く松野を再選させるべく生活の党や維新の党内の小沢系議員に維新の党の党員集めを指示した。小沢に近い議員や側近の松木謙公幹事長代行が1人で約1万人の党員を集めたほか、松野は約3000人、牧義夫国対委員長は約1000人を確保したとされる。これらの動きを察知した橋下は代表選で負ける前に先手を打つ形で党を割ることを決断したと産経新聞の政治部編集委員は分析している。
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