結婚による皇籍離脱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:37 UTC 版)
2018年(平成30年)4月、守谷慧から求婚を受け、受諾した。同年6月26日に宮内庁は、絢子女王が守谷慧と婚約すると発表し、7月2日に正式に内定した。納采の儀が8月12日に、9月19日に告期の儀が、それぞれ高円宮邸で行われた。絢子女王が告期の儀で着用した橙色のワンピースは、両親の婚約会見の際に久子妃が着ていたものである。10月26日には参内の上、賢所皇霊殿神殿に謁するの儀、朝見の儀に臨んだ。 結婚式は同年10月29日に明治神宮で行われた。宮中三殿と明治神宮での儀式には、祖母の三笠宮妃百合子が義母の貞明皇后(大正天皇后)から贈られたもので、次姉の典子女王(現:千家典子)も着用した小袿と長袴で臨んだ。 同日午後に宮内庁職員が婚姻届を提出することに伴い降嫁(皇籍離脱)し、民間人の「守谷絢子」となった。10月30日にはホテルニューオータニ本館「アッザレーア」にて、皇太子徳仁親王・同妃雅子を主賓に三権の長など約70人を招いた結婚披露晩餐会が催された。 2019年(令和元年)11月17日、同日午前6時59分に東京都港区の愛育病院で第1子となる男児を出産したと宮内庁より発表された。
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