第八次侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 00:58 UTC 版)
第7次戦争当時、金守剛がモンケを説得し、モンゴル軍の撤収に成功した。 しかし、これは一時的な対策に過ぎず、さらに1257年にはモンゴルはジャライルタイ・コルチに軍隊を与え高麗を侵攻させた。これまで政府は再び金秀江を撤退交渉の使臣としてモンゴルに派遣し、モンケに謁見させてその許可を得たので出陸と親潮を条件にモンゴルはいったん軍隊を北に後退させ、高麗の態度と動きをうかがっていた。
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