秦早穂子
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秦 早穂子(はた さほこ、1931年7月31日 - )は、日本の映画評論家、随筆家。
注釈
- ^ 1959年6月8日から13日にかけて開催された第2回フランス映画祭(主催:ユニフランス、日本映画海外普及協会、外国映画輸入配給協会)では、『いとこ同志』のほか『レ・ミゼラブル』『自殺への契約書』『二十四時間の情事』『燃える大地』『アルピニスト 岩壁に登る』など計6本の新作長編と短編映画『セーヌの詩』が上映された[6]。なお、アラン・レネの『二十四時間の情事』は6月20日に日本で一般公開された[7]。
- ^ 『いとこ同志』が「フランス映画祭」で上映されると、『映画評論』1959年7月号で植草甚一が、『スクリーン』同年8月号で岡田真吉がそれぞれ批評を執筆した[9][10]。
- ^ 秦は『勝手にしやがれ』のラッシュを見たのを「1959年7月」と書き記しているが[14]、多くの研究資料により、同作品の撮影時期は「1959年8月17日から9月19日まで」と特定されている[15][16][17]。
出典
- ^ 池田仁美「メディアに見るシンガーミシン裁縫女学院の沿革とミシン裁縫教育」『デザイン理論』第66巻、意匠学会、2015年8月、3-16頁、CRID 1390858518830857216、doi:10.18910/56263、hdl:11094/56263、ISSN 09101578、2023年8月24日閲覧。
- ^ 池田仁美「初期のシンガーミシン裁縫女学院の型紙教育 : 明治41年の実物型紙による検討」『デザイン理論』第67巻、意匠学会、2016年1月、100-101頁、CRID 1390858518830897920、doi:10.18910/56405、hdl:11094/56405、ISSN 09101578、2023年8月24日閲覧。
- ^ 秦 1981, p. 38.
- ^ 秦早穂子、森田和雄、中原弓彦「第一回 パリへの道(上)」 『ヒッチコック・マガジン』1959年9月号、宝石社、70頁。
- ^ 『映画評論』1959年7月号。
- ^ a b 『キネマ旬報』1959年7月夏の特別号。
- ^ Hiroshima, mon amour - IMDb(英語)
- ^ 秦早穂子、森田和雄、中原弓彦「第二回 パリへの道(下)」 『ヒッチコック・マガジン』1959年10月号、宝石社、69頁。
- ^ “『映画評論』1959年7月号”. 国立国会図書館オンライン. 2023年7月13日閲覧。
- ^ “『スクリーン』1959年8月号”. 国立国会図書館オンライン. 2023年7月13日閲覧。
- ^ いとこ同志 - IMDb(英語)
- ^ a b 秦早穂子、荻昌弘、中原弓彦「秋の話題作をめぐって」 『ヒッチコック・マガジン』1959年12月号、宝石社、68-76頁。
- ^ 秦 2012, pp. 22–25.
- ^ a b 秦早穂子 (2021年9月10日). “「勝手にしやがれ」あの夏の衝撃 ジャンポール・ベルモンドの訃報に寄せて”. 朝日新聞 2022年1月16日閲覧。
- ^ 『ジャン=リュック・ゴダール』(改訂第二版)エスクァイアマガジンジャパン〈E/Mブックス〉、2003年8月1日、28-31頁。ISBN 978-4872950199。
- ^ ベルガラ 2012, pp. 68, 678.
- ^ 山田宏一『映画はこうしてつくられる―山田宏一映画インタビュー集』草思社、2019年9月4日、476-480頁。ISBN 978-4794224019。
- ^ 『週刊平凡』1960年7月6日号、「日本のデモに驚いたアラン・ドロン 来日中止の真相」。
- ^ a b 秦早穂子「『小さい兵隊』メモ帳から―公開禁止になったゴダールの第二作」 『映画評論』1961年9月号、28-31頁。
- ^ ベルガラ 2012, pp. 110–118.
- ^ “第41回 2012年度”. 日本映画ペンクラブ. 2023年5月1日閲覧。
[続きの解説]
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