福井シネマとは? わかりやすく解説

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福井シネマ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/05 23:56 UTC 版)

福井シネマ(ふくいシネマ)は、福井県福井市順化にあった映画館


  1. ^ 閉館後に「東映前」から名称変更。
  2. ^ 一連の流れで加賀屋座も映画の常設館となった、と述べる文献や、加賀屋座が映画常設館となった後、松竹館に転じた[4]、とする文献もある。また福井劇場開館の翌年、1920年の『大阪朝日新聞』は、常設館1のほかに常設館同然に映画興行を行っている劇場が2、寄席が1あると述べており[5]、これが加賀屋座を指す可能性もある。また1917年発行の映画誌『活動之世界』は「全國活動常設館一覽」に加賀屋座を挙げており[6]、翌1918年の一覧ではさらに所属する弁士3名の名前が示されている[7]
  3. ^ 1921年末に行ったのは竣工式だけなのか、年内に何らかの上映を行ったのかははっきりしない。『福井新聞百年史』は1922年1月の開館とし[9]、『福井県大百科事典』も開館を1922年としている。『福井映画史』(19ページ)『福井県労働運動史』は1923年の開館としている。
  4. ^ 1921年9月の開館とする文献が多い[9]
  5. ^ 『松竹九十年史』掲載の年表には、大正13年(1924年)の項に「福井松竹館 直営廃止」の記述がある[19]。また館名についても揺れがあり、『新修 福井市史 Ⅱ』は松竹館改名後の館名は「東亜キネマ」だったとしている[20]。『福井新聞百年史』にも「東亜シネマ(元の松竹館)」の記述がある[21]
  6. ^ 松竹座の後身にあたるテアトルサンクへの取材記事では1928年(昭和3年)に「映画興行「福井松竹座」を開始」とある[27]
  7. ^ 協定成立の記事では大衆館への改名は23日付としているが、24日付の新聞には日活館名義で『血煙荒神山』『日本橋』『道玄坂奇談』といった日活映画の上映予定が発表されている[35]
  8. ^ 撮影年代は『写真集 明治大正昭和 福井』の記載による。ただし写真に見える『蛮勇タルザン』が日本で初公開されたのは1934年であり、前編にあたる『無敵タルザン』は1934年10月に大衆館で上映されている。またこの写真と同じ建物は、1936年頃に附近で撮影された写真でも映画街の南端に写っており[37]、掲載の写真も大衆館が加賀屋座の南側にあった1939年以前の撮影である可能性がある。
  9. ^ 『稿本福井市史』は東宝の創立年月は1939年3月であるとしている[3]
  10. ^ 大衆館の館名はこの時点から使われ始めたものだとする文献もあり[39][40]、大衆館の設立が1940年2月だとするものもある[3]。また東宝はもと大衆館があった場所に開館しており、1940年に再開館するまでの間、大衆館がどうなっていたのかは不明である。
  11. ^ 1939年4月15日には加賀屋座でクラーク・ゲーブルマーナ・ロイ主演の映画『テスト・パイロット』が上映されていたが[42]、映写室にあったフィルムに引火して騒ぎとなった[43]
  12. ^ 『福井県大百科事典』は1947年としている。
  13. ^ 『キネマ旬報』は加賀産業が株式組織となったのは1948年11月であるとしているが[48]、1947年発行の『福井縣經濟要覽』では既に株式会社として掲載されている[47]
  14. ^ 戦後に再開館した福井東宝については言及が少ないが、震災当日に国際劇場で被災した福井新聞の記者が福井東宝は国際劇場の隣にあったと述べており[49]、空襲前と同じ場所で再開したものと思われる。
  15. ^ 移転は福井地震と同年(1948年)であるとする文献もある[51]。なお『新修 福井市史 Ⅱ』は移転先を「順化一丁目二」としているが、順化は住居表示制度の実施に伴い1967年から用いられている地名であり[52]、移転当時はこの地名は用いられていなかった。当時の地名では佐佳枝中町にあたる。
  16. ^ 地震による大衆館の被害についてはさまざまな記述があり、食い違いも多い。死者数について、『福井市史』は震災当時の福井新聞の報道を元に、大衆館の死者は13人としており[56]中央防災会議の報告書も「大衆映画館」の被害として13人死亡と同じ数字をあげている[57]。『読売新聞』は29日午前8時時点で発掘された死体の数を40人[58]、『写真集 明治大正昭和 福井』は「数一〇〇人」としている[59]
  17. ^ 1948年10月の『朝日新聞』福井版掲載広告に「おまたせ致しました! 愈々! 11月1日ヨリ 大衆舘 大映・東宝封切 復興開舘」の文言が見られる[60]。なお『新修 福井市史 Ⅱ』はこの直前、1948年10月26日に福井東映大衆館に改名したとしている[61]
  18. ^ 大衆館が東映専門となるまでの間、どの会社の映画を上映していたのかははっきりしない。『新修 福井市史 Ⅱ』は1951年頃から半年間大映と東映を併映した後、東映専門館となったとし[66]、1954年の『キネマ旬報』は大衆館が大映・東映、福井東宝は東宝・新東宝の上映館であったとする[48]。一方、同誌の1955年の取材記事に掲載された大衆館の写真には「大映 新東宝 封切」とあるのが読み取れる[65]。また、東映専門に移行する直前に上映していた『怪猫五十三次』『魔の花嫁衣裳』[67]は大映の、『明治天皇と日露大戦争[68]は新東宝の作品である。
  19. ^ 1957年6月の『福井新聞』掲載広告には「東映封切専門館 第一回披露番組」[69]「愈々本5日より! 皆様の大衆舘が東映専門舘となりました!」[70]の文言が見られ、これ以降の広告は「福井東映」と「大衆館」の名が併記されている。また時事通信社編『映画年鑑』の1957年版では大衆館の名で、1958年版では1957年10月1日現在の情報として福井東映の名で掲載されている。
  20. ^ 『福井新聞』の「本日の映画案内」は改装期間中も大衆館の欄は残り、休館している旨が注記されていたが、新装開館前の6月15日付朝刊を最後に大衆館の表記をやめ[74]、同日付の夕刊から福井東映としている[75]
  21. ^ 『新修 福井市史 Ⅱ』は東宝が1960年7月12日に「装いも新たに再出発」したと述べているが、1960年7月の『福井新聞』には「福井東宝 堂々明13日開舘決定!」と題した広告があり[76]、新装開館は13日であったと思われる。
  1. ^ 『福井新聞百年史』518-519ページ。
  2. ^ 『福井新聞百年史』519-520ページ。
  3. ^ a b c d 『稿本福井市史』下巻、1004ページ。
  4. ^ 『新修 福井市史 Ⅰ』931ページ。
  5. ^ 「活動寫眞研究調査 調査委員設置」『大阪朝日新聞』大正9年8月7日付3面(北陸)。
  6. ^ 『活動之世界』第2卷第9號、活動之世界社、1917年9月。
  7. ^ 吉田智恵男『もう一つの映画史 活弁の時代』時事通信社、1979年、263ページ。
  8. ^ 「福井劇塲開塲式」『大阪朝日新聞』大正8年12月26日付3面(北陸)。
  9. ^ a b c 『福井新聞百年史』520ページ。
  10. ^ 『大正昭和福井県史』下巻、福井県、1957年、431ページ。
  11. ^ 「順化校の移轉と反對理由」『大阪朝日新聞』大正10年7月28日付3面(北陸)。
  12. ^ 「劇塲寄席取締規則改正」『大阪朝日新聞』大正10年9月7日付3面(北陸)。
  13. ^ 『福井市史 通史編3 近現代』432-433ページ。
  14. ^ 「新築の加賀屋座不許可? 何れにしても問題」『大阪朝日新聞』大正10年11月8日付3面(北陸)。
  15. ^ 「上景氣は興行界だけ 福井のお正月興行」『大阪朝日新聞』大正11年1月5日付3面(北陸)。
  16. ^ 「中央館の落成 活動常設館の活躍」『大阪朝日新聞』大正10年12月20日付3面(北陸)。
  17. ^ 『福井映画史』31ページ。
  18. ^ 「華々しいキネマ界 福井の秋季興行」『大阪朝日新聞』大正13年10月2日付3面(北陸B)。
  19. ^ 『松竹九十年史』松竹株式会社、1985年、659ページ。
  20. ^ a b 『新修 福井市史 Ⅱ』725ページ
  21. ^ 「諸口十九、無声映画の看板スターに」『福井新聞百年史』252ページ。
  22. ^ 『福井映画史』53ページ。
  23. ^ 近司生「福井通信」『キネマ旬報』第235号(八月上旬號)、1926年8月、62ページ。
  24. ^ 『福井映画史』36ページ。
  25. ^ 「モダーンな松竹座 竣成は來月十日 開館は翌十一日」『大阪朝日新聞』昭和5年10月26日付9面(福井)。
  26. ^ a b 『福井新聞百年史』523ページ。
  27. ^ 藤共生「老舗物語 映画館 テアトルサンク参事 伊藤雅秀さん デジタル映写機 衝撃」『日刊県民福井』2013年(平成25年)2月4日付4面。
  28. ^ 「春の映畫陣 市內の四館が超特作物で 人氣吸収に大馬力」『大阪朝日新聞』昭和6年2月24日付9面(福井)。
  29. ^ a b c 「弁士解雇でスト騒ぎ 無声映画からトーキーへ」『生きているふくい昭和史』上巻、91-92ページ。
  30. ^ 「トーキー初めて登場 人気を集めた活動写真」『生きているふくい昭和史』上巻、58-59ページ。
  31. ^ 『福井新聞百年史』522ページ。
  32. ^ 『福井県労働運動史』。
  33. ^ 『福井新聞百年史』522-523ページ。
  34. ^ 「初春興行を控へ 映畫組合成る 福井市四映畫館手を握り 料金、映畫等を協定」『大阪朝日新聞』昭和6年12月26日付13面(福井)。
  35. ^ 「劇と映画」『大阪朝日新聞』昭和6年12月24日付(福井)。
  36. ^ 「人気の的は軍人さん 正月映画に九本立ても」『生きているふくい昭和史』上巻154-155ページ。
  37. ^ 『順化の町の昔といま』25ページ。
  38. ^ 『福井市商工人物史』福井經濟新聞社、1939年、243ページ。
  39. ^ 『写真集 明治大正昭和 福井』126ページ。
  40. ^ 『順化の町の昔といま』27ページ。
  41. ^ 『福井新聞百年史』521ページ。
  42. ^ 「劇と映画」『大阪朝日新聞』昭和14年4月15日付5面(福井)。
  43. ^ 「福井映劇の火事騒ぎ」『大阪朝日新聞』昭和14年4月15日付5面(福井)。
  44. ^ a b c 『福井新聞百年史』525ページ。
  45. ^ 『福井新聞百年史』479ページ。
  46. ^ 「アメリカ映画に人気 福井市内に八館が開場 記録的大入り続く」『生きているふくい昭和史』下巻、59-60ページ。
  47. ^ a b 『福井縣經濟要覽』福井新聞社出版部、1947年、171ページ。
  48. ^ a b 『キネマ旬報』第101号(秋の特別号)、1954年10月、86ページ。
  49. ^ 八木実「福井地震との遭遇」『新聞研究』第389号、1983年12月、54-55ページ。
  50. ^ 『新修 福井市史 Ⅱ』730ページ
  51. ^ 「映画館の見える本町通り」『保存版 福井・坂井・あわらの今昔』松原信之監修、郷土出版社、2005年、42ページ。ISBN 4-87663-770-9
  52. ^ 『新修 福井市史 Ⅰ』680ページ。
  53. ^ 『福井烈震誌』523ページ。
  54. ^ 『新修 福井市史 Ⅰ』538ページ。
  55. ^ 『福井烈震誌』1119ページ。
  56. ^ 『福井市史 通史編3 近現代』627ページ。
  57. ^ 1948 福井地震 報告書 (PDF) 』77ページ。
  58. ^ 平松「押し潰された満員の観衆 映画館の惨狀」『読売新聞』昭和23年6月30日付朝刊2面。
  59. ^ 『写真集 明治大正昭和 福井』146ページ。
  60. ^ 『朝日新聞』昭和23年10月30日付大阪本社朝刊(福井)。
  61. ^ 『新修 福井市史 Ⅱ』730ページ。
  62. ^ a b c 『新修 福井市史 Ⅱ』731ページ
  63. ^ 「福井東宝完成」『福井新聞』昭和24年8月4日付2面。
  64. ^ 「興行街 富山大衆館新築で發足」『キネマ旬報』第49号(十月下旬号)、1952年10月、79ページ。
  65. ^ a b 「新・盛り場風土記 福井」『キネマ旬報』第114号(三月下旬号)、1955年3月、93-96ページ。
  66. ^ 『新修 福井市史 Ⅱ』730-731ページ。
  67. ^ 『福井新聞』昭和32年5月26日付夕刊2面。※広告。
  68. ^ 『福井新聞』昭和32年5月29日付朝刊5面。※広告。
  69. ^ 『福井新聞』昭和32年6月4日付夕刊2面。※広告。
  70. ^ 『福井新聞』昭和32年6月5日付朝刊5面。※広告。
  71. ^ 「映画館」『キネマ旬報』第238号(8月上旬号)、1959年8月、120ページ。
  72. ^ 「片岡千恵蔵迎えて 福井東映の完成式行う」『福井新聞』昭和34年6月24日付夕刊3面。
  73. ^ 「片岡千恵蔵、永平寺へ 山本選手を激励 お坊さんに大人気」『福井新聞』昭和34年6月25日付朝刊7面。
  74. ^ 「本日の映画案内」『福井新聞』昭和34年6月15日付朝刊3面。
  75. ^ 「本日の映画案内」『福井新聞』昭和34年6月15日付夕刊2面。
  76. ^ 『福井新聞』昭和35年7月13日付夕刊(12日発行)3面。※広告。
  77. ^ 「OPEN 本日13日㊏ 福井映画ビル」『福井新聞』福井新聞社、1977年8月13日、朝刊5面。2023年10月5日閲覧。「※広告。」
  78. ^ 「斜陽化に反発 〝映画城〟新設 福井の老興行主」『朝日新聞朝日新聞社、1977年8月2日、17面(福井)。2022年11月14日閲覧。
  79. ^ "「秋の1時間SP~ふるさと魂に触れる旅」旅人:津田寛治(俳優)". ふくい浪漫 い〜ざぁええDay. Episode 142. 8 October 2007. 福井テレビ. 2022年11月14日閲覧
  80. ^ 「映画館の灯がまた消える 今月限り福井みゆき座・福井市 市民に親しまれて15年 減収、改装費も出ず」『中日新聞中日新聞社、1992年9月7日、朝刊16面(福井)。2022年11月14日閲覧。
  81. ^ 「映画熱再燃へ新たに2館 福井 ヒット作続き 客足が増勢 来月オープン目指す 市街地活性化にも期待」『中日新聞』中日新聞社、1998年2月21日、朝刊26面(福井)。2022年11月14日閲覧。
  82. ^ 「新映画館2館 福井に店開き 人気アニメに長い列」『中日新聞』、1998年3月15日、朝刊18面(福井)。2022年11月14日閲覧。
  83. ^ 「福井市中心部 2映画館オープン 県内初公開の人気アニメ上映 300人が列、立ち見も」『日刊県民福井』1998年(平成10年)3月15日付18面。
  84. ^ 「映画鑑賞ゆったり 福井シネマ1 2階にパノラマ席 足元2倍 福井ゆかり作品公開前に 銀幕登場 タンス、仏壇も展示」『福井新聞』福井新聞社、2010年6月11日、4面。2023年10月5日閲覧。
  85. ^ a b 籔下千晶 (2018年9月11日). “福井シネマ、最後は「羊と鋼の森」”. 中日新聞. http://www.chunichi.co.jp/article/fukui/20180911/CK2018091102000013.html 2018年10月2日閲覧。 
  86. ^ “福井シネマが100年の歴史に幕 9月営業終了、来館減で別事業へ”. 福井新聞. (2018年8月7日). http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/672496 2018年8月24日閲覧。 
  87. ^ 中場賢一、片岡典子 (2018年8月20日). “福井シネマ、9月10日に営業終了 100年の歴史に幕”. 中日新聞. オリジナルの2018年8月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180819234537/http://www.chunichi.co.jp/article/fukui/20180820/CK2018082002000016.html 2018年8月24日閲覧。 
  88. ^ 福井テラス”. 施工実績. 清水建設 (2020年10月). 2022年11月14日閲覧。
  89. ^ 新築・移転・統合のご案内”. 北國銀行. 2022年11月14日閲覧。 “(501)福井支店/マネープラザ福井”


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