砺波山の戦いとは? わかりやすく解説

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倶利伽羅峠の戦い

(砺波山の戦い から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/29 14:46 UTC 版)

倶利伽羅峠の戦い(くりからとうげのたたかい、倶梨伽羅峠の戦い)、または、砺波山の戦い(となみやまのたたかい、礪波山の戦い)は、平安時代末期の寿永2年5月11日1183年6月2日)に、越中加賀国の国境にある砺波山の倶利伽羅峠(現富山県小矢部市-石川県河北郡津幡町)で源義仲軍と平維盛率いる平家軍との間で戦われた合戦。治承・寿永の乱における戦いの一つ。


注釈

  1. ^ この出兵については『吾妻鏡』においては木曾義仲討伐の為と記されているが、『玉葉』における討伐の対象者は「源頼朝・源信義」となっており、追討の対象は「木曽義仲」ではなくあくまでも北陸の反乱軍であるという見解が強まりつつある。

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