矢口謙斎
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矢口謙斎(やぐち けんさい、文化14年(1817年) - 明治12年(1879年)6月)は幕末の幕臣。名は正浩。通称は清三郎、後に浩一郎[1]。本庄藩森田家に生まれ、幕臣矢口家の養子となった後、江戸昌平黌、甲府徽典館、長崎奉行等に勤めた。幕府滅亡後箱館に向かうも参戦の機会を逃し、官軍に投降して竹田に移送された。晩年は静岡県下足洗村に私塾を営んだ。
- ^ a b c d e f g h i j k l 内田周平『矢口謙斎伝』昭和7年
- ^ “Matthew Fraleigh, "Vassal of a Deposed Regime: Archetypes of Reclusion in the Poetry of Former Shogunal Official Yaguchi Kensai" | East Asian History”. www.eastasianhistory.org. 2023年3月19日閲覧。
- ^ マシュー・フレーリ 著「隠逸の多様なイメージ――日本幕末維新期の漢詩人と陶淵明」、王小林, 町泉寿郎 編『日本漢文学の射程 : その方法、達成と可能性』汲古書院、2019年7月、301頁。
- 1 矢口謙斎とは
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