相沢菊太郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 相沢菊太郎の意味・解説 

相沢菊太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/10 06:22 UTC 版)

相沢菊太郎
あいざわ きくたろう
生年月日 1866年5月28日
出生地 日本 神奈川県高座郡相原村
(現・神奈川県相模原市緑区
没年月日 (1962-04-26) 1962年4月26日(95歳没)

テンプレートを表示

相沢 菊太郎(あいざわ きくたろう、1866年5月28日慶応2年4月14日[1]) - 1962年昭和37年)4月26日)は、明治から大正期の日本政治家神奈川県高座郡相原村村長

経歴・人物

神奈川県高座郡相原村(現:相模原市相原)に生まれる[2][3]1908年(明治41年)より地元相原村の村長となり、横浜鉄道(現:JR横浜線)の橋本駅開設や相模農蚕学校(現:神奈川県立相原高等学校)の誘致に尽力した[2][3]

『相澤日記』

菊太郎は1885年(明治18年)から死の直前までの78年間に渡り日々の生活を記録した日記を残した[2][3]。昭和時代になり、子の相沢栄久の編集により、1965年4月に「相澤日記」として明治18年から明治25年の記述が刊行された。その後1966年に「続 相澤日記」(明治26年~明治35年分)、1967年「続々 相澤日記」(明治36年~明治45年分)、1972年「相澤日記(大正編)」(大正2年~大正15年)がそれぞれ刊行された。また、明治29年から明治35年の増補として1977年に「増補 相沢日記」が刊行された。

『相沢日記』は、明治・大正期の相模原の地主や養蚕農家の生活を知ることのできる貴重な資料として、2003年(平成15年)4月1日、相模原市の市指定有形文化財に指定された[4][5]

脚注

  1. ^ 小木新造『ある明治人の生活史 -相沢菊太郎七十八年間の記録-』中央公論社〈中公新書714〉、1983年12月20日、4頁。ISBN 978-4-12-100714-8 
  2. ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『相沢菊太郎』 - コトバンク
  3. ^ a b c 20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ)『相沢 菊太郎』 - コトバンク
  4. ^ 22.相澤日記|相模原市、2019年2月7日閲覧。
  5. ^ 相模原市教育委員会教育局生涯学習部博物館『相模原市史 文化遺産編』相模原市、2015年3月、525頁。 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「相沢菊太郎」の関連用語

相沢菊太郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



相沢菊太郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの相沢菊太郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS