療養と復帰を繰り返す
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 03:59 UTC 版)
「オフサイドトラップ (競走馬)」の記事における「療養と復帰を繰り返す」の解説
同年12月に復帰。オープン特別戦のディセンバーステークスを3着、年明けの金杯(東)で8着とした後、2月のバレンタインステークスで11ヶ月振りの勝利を挙げた。しかし直後に屈腱炎が再発。さらに左前脚にも不安を抱え始め、再度の療養となった。12月に復帰し、ディセンバーステークスで2年連続の3着となるも、患部は安定して出走を続けるまでには快復せず、療養が続いた。 翌1996年の秋から状態に良化が見られ、本格的に戦線に復帰する。しかし屈腱炎再発の恐れがあるため強い調教を掛けられず、復帰初戦から8戦で2着3回・3着3回と勝ち切れないレースが続いた。そして1997年5月のエプソムカップ6着の後、屈腱炎が再発する。7歳という年齢で引退の検討もあったが、管理調教師の加藤は本馬の高い資質を信じ、現役続行を選択、オフサイドトラップは3度目の療養生活に入った。これ以降、本馬の管理は状態をよく把握している担当厩務員の椎名晃と、調教助手の大崎英雄に一任される。一方で加藤により引退後の引受先探しも始められており、故障・即引退の可能性も考慮しながらの現役続行であった。
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