現代の英雄
現代の英雄(ヒーロー)
現代の英雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/05 08:42 UTC 版)
『現代の英雄』(ロシア語 Герой нашего времени)は、帝政ロシアの詩人ミハイル・レールモントフが1840年に発表した中編小説。レールモントフの代表作であるのみならず、その端正な上質の文体は、近代ロシア文学においてロシア語文章語を本格的に確立した作品として、プーシキン後期の作品群と共に高く評価されている。
注釈
- ^ 『公爵令嬢メリー』の最後で、ペチョーリンはN要塞に転属になり、そこでマクシム・マクシームィチと出会うことになっている。
- ^ ペチョーリンの階級(呼称)は、『現代の英雄』全般では「将校(офицер)」だが、『ベラ』では「少尉補殿(прапорщик)」とも呼ばれている。
- ^ 中村融は「カズビーチ」としているが[6]、江川卓は「カーズビチ」と力点を振っている[7]。
- ^ ベラはチェルケス人だが、ロシア語の「タタール人」は、「チュルク系言語を話すロシア周辺内外の異教徒(ムスリム)」全般を指す語として使われる。が、チェルケス人はムスリムだが、北西コーカサス語族に分類されるチェルケス語は、チュルク(トルコ)系言語ではない。
- ^ 原文は в е...й полк。е...й は енский と読む。これは、неизвестный(不明の)、некий(どこぞの)などの略号(頭文字)である н(n)を ен, эн(エン、en)と読み、それを形容詞化したもの[8]。従って、意味は「E連隊に」ではなく「某連隊に」となる。
- ^ 正式には「マクシム・マクシーモヴィチ(Максим Максимович)」だが、口語的な「マクシム・マクシームィチ(Максим Максимыч)」も、話し言葉・書き言葉を問わず広く使われる。前者は固すぎる印象を与えることが多々あるからである。同様の例として、チェーホフの『ヨーヌイチ』(Ионыч)←(Домитрий Ионович)、『犬を連れた奥さん』(Дама с собачкой)の地の文での主人公の名「ドミートリー・ドミートリチ・グーロフ(Дмитрий Дмитрич Гуров)」←(Дмитрий Дмитриевич Гуров)などがある。
- ^ 『ベラ』によると、ペチョーリンはこの5年前にM.M.の要塞に来て、1年間勤務したことになっている。
- ^ 「2等大尉」は штабс-капитан。
- ^ 原文は、現代のタマーニ住民も怒りそうな侮蔑的表現である。
- ^ ウクライナ人の姓。
- ^ 鉱泉飲用と鉱泉浴の両方が作品中には登場する。
- ^ ロシア人だが、親の趣味で英国風にメリーと呼ばれている。
- ^ ピャチゴールスク - キスロヴォーツク間の直線距離は約33km。
- ^ ドイツ風の姓だがロシア人。
- ^ この N要塞とは、『ベラ』の舞台となった要塞にほかならない。日記形式の『公爵令嬢メリー』の終盤は、リアルタイムの執筆が決闘前晩で止まり、その後の詳細は事件の1か月半後に書き足されたことになっているが、要塞にはマクシム・マクシームィチがいる。
- ^ ロシア語では「カザーク казак」。
- ^ この作品の最後に「俺は要塞に帰るとすぐ、マクシム・マクシームィチにこの件を聞かせた」とあるので、『運命論者』は、ペチョーリンが『ベラ』の舞台の要塞に1年間勤務していた時の出来事であると分かる。但し、『運命論者』の事件が『ベラ』の事件のどの時点にかぶるかは、小説の文章からは割り出せない。
- ^ 将校たちは「ムスリムの迷信」としているが、もちろん間違いで、この種の運命論 fatalism(ダフル dahr信仰)は、イスラーム以前、即ち「無道時代」(ジャーヒリーヤ jāhilīyah期)の古代アラビアで支配的だった世界観である[9]。
- ^ セルビア人。
- ^ 「令嬢」という翻訳も見られるが、原文は барыня(奥様)。
- ^ 日本での訳語は、20世紀末までは「カーリム」であったが、今日(2021年現在)では「マフル」が主流である。『ベラ』で、ペチョーリンがアザマートをそそのかす場面の台詞「カラギョース(カズビッチの馬)が結納だ」では、チュルク語からの借用語「カルィム(калым)」が使われている。
- ^ レールモントフの「流刑」は、軍人であった彼をカフカースに転属させる形で行われた。常に彼を最前線に置くようにとの皇帝の密命があったとも伝えられている[4]。
- ^ カズベギ Kazbegiは、2006年にステパンツミンダ Stepantsmindaと改称した。
出典
- ^ 山内昌之『ラディカル・ヒストリー ロシア史とイスラム史のフロンティア』(中公新書、1991年1月)、p.117-118。
- ^ 明治書院『ロシア文学史』(木村彰一・北垣信行・池田健太郎・編、1972年4月)、p.116。
- ^ a b 金子幸彦『ロシヤ文学案内』(岩波文庫別冊2、1961年10月)、p.106。
- ^ a b c d 江川卓「レールモントフと『現代の英雄』」‐『NHKラジオ・ロシア語講座』1980年4月号(日本放送出版協会)、p.46-47。ラジオ講座応用篇(同年4月‐9月、江川が『ベラ』の講読を担当した)の解説。
- ^ 原卓也「ロシア文学に描かれた女性像 ベーラ ‐不幸な恋に命を落とした野生の少女‐」‐『NHKラジオ・ロシア語講座』1977年5月号(日本放送出版協会)、p.60-63より、p.60。
- ^ 岩波文庫『現代の英雄』中村融・訳、1981年4月第1刷。
- ^ 日本放送出版協会『NHKラジオ・ロシア語講座』1980年5月・6月・8月・9月号。
- ^ 日本放送出版協会『NHKラジオ・ロシア語講座』1980年9月号、p.68-69(江川卓による『ベラ』講読テキスト解説)。
- ^ 井筒俊彦『「コーラン」を読む』(岩波現代文庫、2013年2月第1刷)第三講「神の讃美」より、p.99-100。
- ^ 平凡社『ロシア・ソ連を知る事典』(初版第5刷(増補版)、1994年4月)p.613「余計者」(文・工藤精一郎)。
- ^ 山内昌之『ラディカル・ヒストリー ロシア史とイスラム史のフロンティア』(中公新書、1991年1月)、p.197。
- ^ 原卓也「ロシア文学に描かれた女性像 ベーラ ‐不幸な恋に命を落とした野生の少女‐」‐『NHKラジオ・ロシア語講座』1977年5月号(日本放送出版協会)、p.60-63。レールモントフの実生活での女性に対する態度は文学史家マーク・スローニム(1894年‐1976年)の『ロシア文学史』に指摘あり。
- ^ 中村融・訳『現代の英雄』(岩波文庫、1981年4月)巻末「解説」(文・中村融)より p.287。
- ^ 江川卓「カフカースのこと」日本放送出版協会『NHKラジオ ロシア語講座』1980年5月号、p.44-45。(標高の数字のみ、当時のものではなく最新のデータを引用した)
- ^ 江川卓「カフカースのこと」日本放送出版協会『NHKラジオ ロシア語講座』1980年5月号、p.44-45。
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