河野忠三
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河野 忠三(こうの ちゅうぞう、1851年7月13日(嘉永4年6月15日)- 1922年(大正11年)1月28日[1][2])は、明治期の日本の裁判官、内務・警察官僚。官選県知事。号・独坐居士[3]。
- ^ a b c d e f 『阿東町誌』453頁。
- ^ 『徳佐村史 第7巻』151頁では「1月27日」。
- ^ a b c 『新編日本の歴代知事』714頁。
- ^ a b 『人事興信録』初版、388頁。
- ^ 「河野忠三特旨叙位ノ件」
- ^ 『新編日本の歴代知事』804頁。
- ^ 『官報』第4126号、明治30年4月8日。
- ^ 『新編日本の歴代知事』782頁。
- ^ 『新編日本の歴代知事』242頁。
- ^ 『官報』第6925号、明治39年7月30日。
- ^ 『官報』第7528号、明治41年7月30日。
- ^ 『官報』第3507号「叙任及辞令」1895年3月12日。
- ^ 『官報』第4172号「叙任及辞令」1897年6月1日。
- ^ 『官報』第2846号「叙任及辞令」1922年1月30日。
- ^ 『官報』第5395号「叙任及辞令」1901年6月28日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
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