河田小龍
河田小龍
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河田 小龍(かわだ しょうりょう、「しょうりゅう」とも。文政7年10月25日(1824年12月15日) - 明治31年(1898年)12月19日)は日本画家、思想家。通称篤太郎、本名は維鶴(これたず)、小梁、松梁、皤山、小龍と号するほか、翠竹斎、半舫斎の書斎号も称す。
- ^ 高知県立美術館の主要な収蔵品・収蔵作家|高知県立美術館|高知県立美術館
- ^ a b c 高知県立歴史民俗資料館編集・発行 『[企画展]開創700年記念 吸江寺』 2019年10月4日、第1,11,42図。
- ^ a b c d e f 海を渡った「漂巽紀畧」北代淳二、公益財団法人ジョン万次郎ホイットフィールド記念国際草の根交流センター『草の根通信』102号、2020年3月
- ^ a b c 写本、1世紀ぶりに帰国 ジョン万次郎の漂流記日本経済新聞、2013年5月17日
- ^ 川田維鶴(河田小龍)撰 『漂巽紀畧』京都外国語大学
- ^ 『漂巽紀畧』について知りたいレファレンス協同データベース、2013年08月26日
- ^ 『岩崎弥太郎: 国家の有事に際して、私利を顧みず』立石優、PHP研究所, 2009「役職を得た弥太郎」の章
- ^ 『漂巽紀畧: 付研究河田小龍とその時代』高知市民図書館, 1986 p126
- ^ 『坂本龍馬脱藩の道をゆく』左古文男、学研パブリッシング, 2010 p28
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