沖縄県祖国復帰協議会とは? わかりやすく解説

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沖縄県祖国復帰協議会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 05:51 UTC 版)

沖縄県祖国復帰協議会(おきなわけんそこくふっききょうぎかい)は、アメリカ施政権下の沖縄において、1960年(昭和35年)4月28日に結成された祖国復帰運動の中心的団体。略称は復帰協(ふっききょう)。


注釈

  1. ^ 1952年4月に発足した沖縄教職員会は、教職員の経済的・社会的地位の向上を図るために組織された団体であるが、校長教頭・事務長などの管理職も含まれており、いわゆる「労働組合」ではない。初代会長は屋良朝苗で、「戦災校舎復興」と「祖国復帰」という2大行動目標を掲げ、常に沖縄の祖国復帰運動の中心として力強く行動した[3]
  2. ^ 対日講和条約の発効によって沖縄の人びとは日本国民でもアメリカ合衆国市民でもない曖昧な立場に追いやられたことから、4月28日は「屈辱の日」とも呼ばれた[2]。復帰協はこの日を中心に「統一と団結」のスローガンの下、統一戦線的性格を保って運動を深化させた[2]

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