沖縄・読谷村「平和の像」破壊事件
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沖縄・読谷村「平和の像」破壊事件(おきなわ・よみたんそん「へいわのぞう」はかいじけん)とは、1987年(昭和62年)に沖縄県中頭郡読谷村にあるチビチリガマの前に建てられていた「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」が、沖縄国体日の丸焼却事件への報復として右翼により破壊されていた事件である。
- ^ a b c d e 「「平和の像」壊される 沖縄読谷村」『毎日新聞』、1987年11月9日、10面。
- ^ a b c 「強制死の史実刻むチビチリガマ 87年には「平和の像」破壊も」『琉球新報デジタル』、2017年9月13日。2021年9月27日閲覧。
- ^ a b 「沖縄の「平和の像」破壊、右翼2人逮捕」『朝日新聞』、1987年12月21日、13面。
- ^ 「平和の像破壊の右翼に実刑判決 那覇地裁」『朝日新聞』、1988年3月10日、19面。
- ^ 「「平和の像」破壊指示の右翼2人に懲役 那覇地裁が判決」『朝日新聞』、1988年5月30日、12面。
- ^ 「62年の「日の丸焼却事件」で報復した右翼男に懲役刑」『読売新聞』、1988年5月30日、18面。
- ^ 「記録ビデオ試写会や「平和の像」再建 米軍の沖縄上陸50年」『朝日新聞』、1995年4月2日、30面。
- 1 沖縄・読谷村「平和の像」破壊事件とは
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