横須賀海軍施設ドック
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横須賀海軍施設ドック(よこすかかいぐんしせつドック)は、神奈川県横須賀市の在日アメリカ海軍横須賀海軍施設内にあり、米海軍および海上自衛隊の艦艇修理に使用されている6基のドライドックである。最古の1号ドックは横須賀造船所時代の明治4年(1871年)に完成しているが、現在もなお使用されている。最大の6号ドックは大和型戦艦の建造ならびに修理・改造を行うことを目的とし、昭和15年(1940年)に完成したドックであり、現在は米海軍空母の修理などに使用されている。
注釈
- ^ 横須賀に造船所の建設が決まった経緯については、当記事の記述が定説となっているが、安池(1992)や、安池が協力者となった大林組プロジェクトチーム(2000)は疑問としている。ここでは東京大学生産技術研究所(1988)が採用し、最新の文献である横須賀市(2011)も採用している定説に基づいた記述とする。
- ^ 一般的に第1号ドックの設計は横須賀製鉄所全体の構想・設計を担ったヴェルニーが行ったとしているが、西澤(2006)は、施設の具体的な設計は建築課長のL.F.フロランが行っていたことが確認されるため、1号ドックはヴェルニーの計画をもとにL.F.フロランが具体的な設計を行ったものとした。この記述は横須賀市(2009)も採用しているため、1号ドックの設計はヴェルニーとL.F.フロランが行ったとした。
- ^ 東京大学生産技術研究所(1988)によれば、1号ドックでも昭和10年(1935年)から昭和11年(1936年)にかけて延長された、奥の約15メートルの部分にはドック奥から入口部に向かって傾斜がつけられている。
- ^ 東京大学生産技術研究所(1988)によれば、19世紀後半に建設されたドックには、ドック壁が垂直に近いものと階段式になっている2タイプがあるという。
- ^ 横須賀市(2009)によれば、当初は2号ドックとされたが、後に第3号ドックとなったという。
- ^ 東京大学生産技術研究所(1988)によれば、横須賀海軍造船史において「ドック本体の開鑿工事の開始」が明治4年5月と記述されていることにより、3号ドックの建設開始は明治4年(1871年)5月とされているが、ドライドックの建設ではまずドック入口予定地前の海を締切堤で囲うところから開始されるのが通常であるため、実際の起工日はもっと前なのではないかと推察している。
- ^ 明治工業史土木編(1995)によれば、2号ドックで用いられる石材は明治11年(1878年)6月から採石が開始されたとする。
- ^ 寺谷(1996)では、6号ドックの建設時に土木機械は無かったと記述しているが、ここでは土木学会(1965)と、土木学会の記述に則った記述をしている横須賀市(2009)の、土木機械が用いられたとの記述を採用する。
- ^ 横須賀市(2009)によれば、1号から5号ドックまでは艦船の修理用に造られたドックであったが、6号ドックのみは信濃の建造を目的として造られた。そのため1号から5号ドックで建造された艦船は無く、6号ドックも日本海軍での利用はほぼ信濃の建造に限られる。
出典
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