森永ヒ素ミルク中毒事件
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森永ヒ素ミルク中毒事件(もりながヒそミルクちゅうどくじけん)とは、1955年6月頃から主に西日本を中心に、ヒ素が混入した森永乳業徳島工場製の粉ミルクを飲用した乳幼児に、多数の死者・ヒ素中毒患者を出した毒物混入事件である[1]。その事件性から森永ヒ素ミルク事件(森永砒素ミルク事件、もりながヒそミルクじけん)とも呼ばれる。
注釈
出典
- ^ a b c 朝日新聞1955年8月28日『徳島工場だけで使用 森永発表』森永乳業徳島工場での粉ミルク製造過程のヒ素混入の経緯は、粉ミルクの品質安定に「第二燐酸ソーダ」を使用していたが、外部業者が、食用に適さない粗悪な「第二燐酸ソーダ」を徳島工場に納入し、その中に不純物のヒ素が混入していた。そして、徳島工場は、適切な「第二燐酸ソーダ」であるかを検査をせずに使用し、このずさんな安全管理が事件を招いた。
- ^ 『森永乳業五十年史』森永乳業、1967年9月。
- ^ “中島貴子(2013), 科学技術のリスク評価における非専門家の役割 -森永ヒ素粉乳中毒事件を中心に-, 政策研究大学院大学博士論文”. 2022年5月8日閲覧。
- ^ a b c d 47NEWS (2022年5月25日). “「あの時、ヒ素入りミルクを飲まなかったらどんな人生が...」 夢も幸せも奪われた私は、こうして67年越しの提訴に踏み切った | 47NEWS”. 47NEWS. 2024年4月7日閲覧。
- ^ 岡崎哲夫著「民事訴訟の展開と不売買運動─たたかいの実情─」『森永砒素ミルク闘争二十年史』医事薬業新報社、1977年2月 p148-153
- ^ 岡崎哲夫著「三者会談の開始と財団法人ひかり協会の設立─ひかり協会の設立をめぐる諸状況─」『森永砒素ミルク闘争二十年史』医事薬業新報社、1977年2月 p156-157
- ^ 東海林吉郎/菅井益郎著「砒素ミルク中毒事件」『技術と産業公害』宇井純編、国際連合大学、1985年
- ^ “森永ヒ素ミルク事件の徳島工場、閉鎖へ”. 読売新聞. (2011年1月26日) 2011年1月26日閲覧。
- ^ 朝日新聞2011年10月01日朝刊 工場は閉じる。教訓は残す 乳児130人死亡、森永ヒ素ミルク事件
- ^ 2003.6.25付山陽新聞報道
- ^ 2003年6月24日の岡山県における人権救済申し立て事件(岡弁庶第33-1号)及び、2003年7月8日の広島県における人権救済申し立て事件(広弁第57号)
2003年6月25日付読売新聞岡山版報道 - ^ “ヒ素ミルクで森永乳業提訴 慰謝料求め、脳性まひの女性―大阪地裁時事通信]”. jiji.com. 時事通信 (2022年5月25日). 2022年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月22日閲覧。
- ^ “ヒ素ミルク 未開封缶とカルテ現存 岡山大保管 教訓伝える貴重な史料”. 山陽新聞デジタル. 山陽新聞 (2023年3月21日). 2023年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。20230-03-22閲覧。
- ^ 「森永ヒ素ミルク事件の「未開封缶」を全国初確認 17日から一般公開 岡山大学」『瀬戸内海放送』、2023年4月14日。2023年4月25日閲覧。
- ^ 瀬戸内海放送 (14 April 2023). 森永ヒ素ミルク事件の「未開封缶」を全国初確認 17日から一般公開 岡山大学. YouTube. 2023年4月25日閲覧。
- ^ a b c 森永ひ素ミルク中毒事件について 厚生労働省
- 1 森永ヒ素ミルク中毒事件とは
- 2 森永ヒ素ミルク中毒事件の概要
- 3 裁判関係書類の遺失
- 4 外部リンク
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