桑名市指定史跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 19:05 UTC 版)
「顕本寺 (桑名市)」の記事における「桑名市指定史跡」の解説
水谷九左衛門光勝墓 - 昭和41年(1966年)11月22日指定。五輪塔の形式の墓で、水谷光勝の墓以外の2基も含めた3基で指定されている。向かって右端の五輪塔が光勝の墓で、空、風、火、水、地輪に渡って「南無妙法蓮華経」、地輪中央に「昌慶位」、地輪両側に「真如院逆修元和四暦戊午七月吉日」とあり、高さは128cm。 中央の五輪塔は光勝の妻の墓で、光勝の墓と同様に、空、風、火、水、地輪に渡って「南無妙法蓮華経」、地輪中央に「妙寿位」、地輪両側に「安立院逆修元和四暦戊午七月吉日」とある。 向かって左端の五輪塔は、当寺過去帳にも「古帳損□之故不分明」記載され、誰の墓にあたるかは不明。地輪に「浄智院澄月一栄位」、「寛永5年7月18日」とある。 光勝とその妻の墓にある「逆修」とは、生前に建てた墓ということをあらわす。二人の実際の没年月日は、光勝が寛永7年12月12日(1631年1月14日)、妻が寛永8年8月8日(1631年9月4日)である。建立日の元和4年(1618年)7月は、現存する当寺の墓碑の中でも最古にあたる。 吉村又右衛門宣充墓 - 昭和41年(1966年)11月22日指定。高さは200cm、表面の文字は浅く刻まれ、風化も進み判読が難しくなっている。中央に「南無妙法蓮華経真如院殿性白日明高霊大居士」、両側に「慶安三庚寅暦四月二十七日吉村又右衛門宣充」とある。
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