松平正質とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 松平正質の意味・解説 

大河内正質

(松平正質 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/07 15:36 UTC 版)

松平 正質(まつだいら まさただ)または大河内 正質(おおこうち まさただ、弘化元年4月11日1844年5月27日) - 明治34年(1901年6月2日グレゴリオ暦))は、幕末上総国大多喜藩の第9代(最後)の藩主。奏者番若年寄老中格大河内松平宗家11代。


  1. ^ 鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍の兵糧方を務めた幕吏の証言に依る。慶應4年1月3日から4日での首実検の際、近くの酒屋から部下に持って来させた酒樽の冷酒を飲み、敵首の頬を削いで食べたという[2]
  2. ^ 松平正質は主戦論者として知られており、鳥羽伏見の戦いよりも前の慶応3年(1867年)12月に、薩摩人1人を殺すごとに賞金を与える法令を大坂城中で提案したが、徳川慶喜に止められた[3]
  3. ^ 松平正質総督は無謀にも、兵糧方に最前線近くでの炊事を厳命していた。1月5日夕方、総督は兵糧方を淀の町に置き去りのまま撤退し、兵糧方の部隊は淀小橋陥落後に土方歳三に知らされて、危うく楠葉へ逃れた[5]


「大河内正質」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松平正質」の関連用語

松平正質のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



松平正質のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大河内正質 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS