東漸寺_(佐世保市)とは? わかりやすく解説

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東漸寺 (佐世保市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 06:15 UTC 版)

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岩問山東漸寺
所在地 長崎県佐世保市中里町250
位置 北緯33度12分05.5秒 東経129度41分04.2秒 / 北緯33.201528度 東経129.684500度 / 33.201528; 129.684500座標: 北緯33度12分05.5秒 東経129度41分04.2秒 / 北緯33.201528度 東経129.684500度 / 33.201528; 129.684500
山号 岩問山
宗旨 新義真言宗
宗派 真言宗智山派
寺格 平戸藩祈願寺
飯盛神社別当寺
本尊 薬師如来
愛宕山勝軍地蔵菩薩別当
創建年 和銅年間(708年 – 715年
開山 行基
中興年 986年寛和2年)
1626年寛永3年)
中興 観海
教意
別称 岩問山薬師堂
公式サイト [1]
法人番号 6310005002772
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東漸寺(とうぜんじ)は、長崎県佐世保市中里町[1]にある真言宗智山派の寺院。山号は岩問山(いわとさん)。本尊は薬師如来愛宕山勝軍地蔵菩薩の祭礼を行う本寺。室町〜戦国時代は宗家松浦氏(相神浦松浦氏)の菩提寺だったが、平戸氏に減ぼされたため、江戸時代からは平戸藩祈願寺となった。飯盛神社別当寺。九州八十八箇所第74番札所。

歴史

和銅年間(708年 – 715年行基により開創された岩問山薬師堂奥の院とし、986年寛和2年)観海和尚により、現在地に開基されたといわれる。1626年寛永3年)教意法印により中興され、現在36世。本尊は薬師如来立像で、室町時代の作と伝えられる。山門は平戸藩主松浦熈の寄進によるもの。

文化財等

長崎県天然記念物
  • 東漸寺の大クス - 山門横に立つ樹齢約500年の楠の木
佐世保市指定文化財
  • 宗家松浦十三代盛公(武辺城主)の墓碑
  • 魔鏡 - 江戸時代初期作の青銅鏡。

所在地

〒858-0904 長崎県佐世保市中里町250番地

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